<< 誰かのための日記-025-【Kの法則】その3 | main | おしらせ-黒テント京都公演! >>
誰かのための日記-026-東京
◆去る月の初めに東京へいってきた。丸10日間の旅である。旅の目的は数少ない。むしろ人生の課題が山積している状況のなかの上京。変な話なのだが、こちらでまとまらない考えをゆっくりとしたスケジュールの旅先で確実に結論づけようという目論見であった。

◆なにせ東京はひとが多かった。中野の商店街ですらすでに心斎橋筋商店街より栄えている。よくテレビでやる寂れた商店街のドキュメンタリーでは「特色をつくらないと」「イベントをしないと」という議論になったりするのだが、結局、その街のひとが減ってしまうといかんともしがたいのだろう。個人的にこれを、ある種のメタとして考えている。しかしながら特別街に特徴があるとも思えなかったのも事実で、街がひとをつくっているのではなく、やはり、ひとが街をつくっているのだと思った次第である。それにともない、地方都市との単純な比較として、東京に経済も政治も文化も集まっていることは、素朴な違和感として残る。そのままいくのかと。

◆【新青年】公演以降、代表の草壁カゲロヲ氏の活動休止を受け、しみじみと思い続けている。もう2年が過ぎようとしている。僕は演出家である。思っているだけではなにも進まない。ひとを集めたり、舞台のイメージを語らねば進まないのである。『表現』という意味では進めなくともよい。義務でもなんでもないのだから。しかし、一方の『生活』という面でも長年舞台に自己没我していたため、停滞している。なかなか人生とは難しいものだ。一生懸命やっても仕方ないことが多いのである。かなめはバランスなのだろう。昔からの知人・友人に会うと、驚くほど時間が過ぎてしまったことに気付かされる。たった10数年の年月でそのひとがまるで別人のように感じるのだ。ときおり自分が『天然色の化石』になってしまったように思い、呆然と立ちすくんでしまう。

◆政治の世界では世襲問題が議題に上がっているようだ。僕は以前より、とても大事な問題だと思って、ピラミッドの最底辺の僕の意見はまるで響かないのだが、近しいひとには様々、申し上げていた。僕は単純に『親族の地盤を継いではいけない(選挙区を代えるべき)』とだけ考える。これは職業選択の自由の問題をクリアした上で、本質的な公正であるべき選挙を実施するためである。政治家には政治家の実力が必要で、それが2世であろうが3世であろうがその実力があるなら納税者にとって有益である。それが実力にかかわらず、地盤をただ漫然と引き継ぐことによって、あるいはその名前だけで、他の立候補者よりも集票が有利に働くのが問題なのだ。これは投票者の問題ともいえる。ちなみに2世3世議員は血脈を継いで優秀な政治家になりやすい、という意見のひともいたのだが、僕はそれは非常に疑っている。たとえば実力を重視するスポーツ界を例にとる。現在、日本の衆議院議員の5割強が世襲議員だといわれているが、プロ野球界のなかで2世の選手がどれだけいるか?を考えると首をひねらざるをえない。もちろん、プロ野球界のなかにもごく少数の2世選手はいるが、比率が違いすぎるとは思いますまいか。父親とおなじ職業を希望しているかどうか、など統計の取りようもないので、これは私見に過ぎずただの印象である。基本的に2世議員だろうがなんら問題はない。むしろ大事なのは、プロ野球選手あるいは政治家の息子(政治の場合は娘でもよいのだが)として生まれ、おなじ職業に就こうとするときのプロセス。競争の厳しさへの公平性である。その選挙区で、よりよい政策・理念・実行力がある人物が当選して欲しいのだ。むしろ社会全体が世襲社会であっても、少なくとも政治家だけは選良であって欲しいのだ。

◆と、ながなが書いてみた。世襲議員のことについて考えたのは3年ほど前かであろうか。僕はそのとき孔子の本を読んでいた。

「先生がもっとも嫌いな人物とはどのようなものでしょう?」と弟子。
「先祖代々の跡目を継いで自分ではなんの努力もしていないのに安全な場所から、夢をもって努力してもなかなか芽のでない若者を嘲り笑うような人物が、わたしは心底嫌いだ」と子は答えた。(僕の意訳である)

3年前、この文章を読んでなぜか涙がにじんだ。そしてテレビのニュースに映る傲慢な政治家の顔を見たのだ。

◆そして、なぜ僕は東京の旅日記なのに世襲議員問題をながながとりあげるのか?それは10日間の旅で『世襲議員が減らなければ東京の一極集中は続く』というマイ理屈を発見したからである。だって地盤がどうのこうのといいながら実は彼らは生まれてこのかたずっと東京暮らし。東京のおぼっちゃまなのだ。東京大好きな世襲議員が経済も政治も東京から引き離すわけがない。『地方分権』なんて地方出身の議員しか真面目に取り組んでいないのが実情。そもそも世襲議員は若い頃から知り合いだから結託してる。地方から血脈なく頑張って当選したひとで、のし上がってくるひとたちはやがてどこかで足をすくわれる。世襲議員は結託して世襲議員コミュニティでないひとの頭を叩く。仲間外れごっこは世の必定である。槐より始めよ、という言葉もある。現代日本の社会構造が封建社会でないということを示すべきは、まず政治家ではないだろうか。

◆嗚呼、しかし、人生の問題が山積の、このちっぽけな僕の、東京でまとめた考えの結論が、まさかの『世襲議員問題について』だとはっ!天の啓示の思し召しと受け入れ、僕はある種のメタとして、今後、無理やり参考にしていくしかない、そう思った次第である。

◆東京では黒テントの初日で忙しいのに付き合ってくれたA君、お寿司をごちそうしてくれた永遠の美少女Mさん、に感謝。グラインダーマンのT氏は上野を案内してくださり家にも泊めていただいた。Nさん、G君、G夫妻、酒うまかったね。そして友人H君にとりわけお世話になった。H君には僕の予定の破れを全部フォローしていただき大変迷惑をかけた。新たな一歩を踏み出そうとする『天然色の化石』は深く感謝する。そのことを末尾において、旅の報告としたい。
| 誰かのための日記 | 08:02 | comments(7) | trackbacks(0) |
Comments
 東京一極集中の要因は、世襲議員の問題だけではなく、選挙すらない、鉄の官僚機構の中にも見受けられますね。霞ヶ関の横暴には、失望させられることばかりです。
 
 でも、文化に関しては、本当に東京に集まっていると言えるでしょうかね?確かに、東京は文化の発信地には違いないけれど、生産地かどうかは疑わしいです。
 小生の、毎年一週間のみの東京滞在の印象では、人は多いが、文化が生まれてくる土壌としては痩せているような気がします。あくまで印象ですが、芸術表現に関心のある人の密度は、かなり薄いような・・・
電車に乗っていても、服装なんか、ワンパターンで無難で地味。
人間模様も、「花の田舎」といわれる京都の方がずっと濃密な感じです。
でも、動員力、ということでいえば、やはり東京は大きいでしょう。
ただ、手応えは、ちょっとやそっとでは得にくいかも知れません。そして、お金をかけたメジャーなものに多分に人が集中する傾向も強いようにも思います。まあ、東京にかぎりませんが。
 それでも、東京は大都市というだけで、大海原的な魅力を内包していますね。
大航海に打って出るような高揚感。
 そして忘れてはならないのは、大空襲の被災地だということ。その、なにもない、焼け野原から町を築き上げた庶民のエネルギー。
当時の無計画性のなごりをとどめている下町の雑多な町並みは魅力的です。
 でも、近代化の極みといえる今の東京は、あらゆる機能が集中していて便利な反面、いつ大惨事やパニックを引き起こすかも知れない、脆さや危うさと紙一重です。
大嫌いで大好きな東京。

 ふと、思い出して、小生が中学時代に傾倒した、21歳で夭折した矢沢宰という詩人の日記を再読。
「いなか者のためか、大勢の人波の中に入っていると、こわくてしょうがない。美しい女の人を見たって親しみなんていっこうにわかない。冷たく劣等的なものを感じる。(中略)私は東京がきらいだ。私が好きになるような所も人もいない。唯、大東京がある、というだけさ。」(矢沢宰は1943年新潟生、19歳の日記)

 さてさて、近藤氏が前回の日記で書かれていた、肝心の東京公演ですが、山積みの人生の問題ともからみ、少し懐疑的に変化しているのでしょうか?
天然色の化石は、時を超えて底光りするものです。
停滞する時間も必要なのかも知れませんね。
| 難多 | 2009/06/30 2:24 AM |
>難多さま

世襲議員は明らかにアドバンテージを持ってるのですよね。そのアドバンテージをどれくらい競争相手にとって許容レベルに収めていくかだと思います。

当然地方にも文化発信力・発生力はあります。しかし、大阪で活動していたときに思ったのは、「このひといいな〜」と思ったら、みんな東京へいっちゃう。その後、どうなったのかはわかりませんが、演劇の分野だと、観れなくなってしまうので、ほんとにわからない。あらゆる地方人が集結する東京は、あるカテゴリーを仮に特定(演劇なら演劇、音楽なら音楽と)して考えると、ものすごい数と質の競争が行われており、それの受け皿(集客力)とともにやはり尋常ならざる場所ですね。むしろ、地方で育った優秀な人材が、東京に向かっているのですね。わたしの体感としてですが、京都はまだましで、この10年くらいの大阪の人材流出はすざまじい気がします。

東京公演に懐疑的になったというより、自己批判的条件闘争といった趣きで、いきなりいってもイベントは成立しない気がしています。東国原氏のように他者批判的条件闘争なら、気楽なもんですが。

矢沢宰さんの詩、とても身に沁みる。主観から発現するところにわたしたちはやはり合理性のみでは生活を選択できないことを強く思わされました。恐らく、もっといいところがあるだろう、という旅よりも、旅がしたいから旅をして、旅に納得できたところが、自分の棲家になるんでしょうね。
| 近藤和見 | 2009/07/02 7:33 AM |
>「このひといいな〜」と思ったら、みんな東京へいっちゃう。
うーん、これは切実ですね。
その人たちにとって、それが是か非かは、簡単には答えが出ないでしょうが、それぞれに決断があって、行っているのでしょうね。
そして演出家という立場からは、人材不足はいかんともしがたいですね。
地方で育った優秀な人材が、東京に向かっているのは事実で、東京在住の小生の友人も、出身は、大阪、仙台、鹿児島等々ですが、そろそろ人生の次のステージを考えている世代としては、いつかは東京を離れることを目論んでいるふしも見受けられます。

「新青年」からしか見ていませんが、ロヲ=タァル=ヴォガには、あえて関西でやりつづけていこう、というスタンスがあったのではないでしょうか?
「新青年」で使われていた関西弁と標準語の対比は、あきらかに関西発を意識されていたように感じます。
10年間の関西での蓄積があったからこそ、そこに結実したのでしょう。
関西で培ったものを、旅先で披露する、という感覚で、東京でお金をかけない規模でやれる道を探ってみては?
東京でなくても、関西発のものを関西以外でやることには意味があります。
というわけで、小生もちょっと旅先に行ってきます。
| 難多 | 2009/07/03 2:51 AM |
おひさしぶりです。
わたしは、カゲロヲさんがいなくなるときいて、
和見さんの表現はこれからもっと自由になる、と思ったのです。
その予想、ちがったのかしら。
| I.Y. | 2009/07/09 11:51 AM |
>難多さま

アドバイスありがとう。なにしろ行動が大事ですね。
旅、気をつけて。

>I.Y.さま

そう、自由になると思います。libertarianでありたいのですよ。ただ、一気呵成にいけない内面的問題を抱えている、ということですね。作品の中身に関しては、はやり内面からでてくるもので、これまでの生活や作風といったものの、ある種忌むべき習慣に左右されているのです。他のひとより思い込みが強いようで、だからこれまでやってこれたところもあるのですが、change!、に際してなかなかすんなりとはいけない自分が、目の前の鏡のなかにいるのです。

これからも応援してくだされば幸いです。新たに出会うひとも増えてきて、ようやく光明が見えてきたように感じてきました。
| 近藤和見 | 2009/07/11 7:28 PM |
なやめるユダヤ人さん。

がんばってますか?

たまには誰かに愚痴でも言って。

腹巻してよぉく眠ってくださいね。
| あこ | 2009/07/13 2:43 AM |
>あこさま

オース。
でも愚痴はいわない性分なんですよ。
あ、「年上の男性」という条件にあった3人くらいの人物にはいってるかな?

ありがと。
| 近藤和見 | 2009/07/15 4:35 AM |









Trackback URL
http://blog.lowotarvoga.net/trackback/965530
Trackbacks

Calendar
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
Profile
Categories
Recent Comments
Links
Archives
Recentt Trackback
Others
累計 / 今日 / 昨日