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誰かのための日記-009-やる気あるものは云々。
◆さてタモさんである。「やる気あるものは去れ!」が座右の言葉であるのは有名な話で、おおいにうなづけるものがある。といいつつ僕は、前回のブログで「気合が入っている」と書いた。しかも「正直に」といいつつ。しかしそこにはなんら齟齬はないと思うのである。

◆僕個人としての解釈であるが、例えるならば、初対面の方へのおもてなしだとしよう。しかもその方へのなんの前情報もないとしよう。「お茶はコーヒーかしら?紅茶かしら?昆布茶?もしやいきなりビール!」などと考えてもはっきりいって仕方ない。なにがそのひとの求めるところか知らないんだから。食事なんてもっとリスキー。気合入れてベトナム料理でもてなしてもそのひとがパクチー苦手かもしれない。お腹いっぱいだったり、不調で食欲なかったりしたらもうしょうがない。僕が思うタモさんいうところの「やる気云々」とは、そういうところを指すのだと思う。本質的に「やる気」ではひとの心は動かないのだと思う。無論「やる気」が前にでても仕方ないという意味である。むしろやる気があろうとなかろうと面白いひとは面白いし、面白くないひとは面白くない。これが大事なのだろう。これは観客主体でも演者主体でもおなじことのように思う。

◆ひとになにかを見てもらうっていうのは本来、初めから危機的なものである。でも自分ができることはちゃんと考え切って工夫してしなけりゃ人前に立って表現なんてできるわけない。そりゃタモさんだって思ってるはず。タモさんの芸自体、やる気はともかく、よく考えてやってるのがちゃんとわかることよ。

◆僕の経験と知能では、なんとなく、というしかないのだけれど、タモさんがいいたいのは「自分に主体をおいたやる気というものが、その実、自分の眼を曇らせるのだ」ということではないだろうか。そういう意味で、ときおり僕のなかにしょうじる「俺はやるぞ!」的な部分に敏感になっとかないとダメだなあと思える。ありがとう、タモさん、いい薬です。それは僕に起こる精神作用にすべからく自戒するべき薬。むふ「すべからく」を正しく使ってしまった。嗚呼、タモさんよ永遠なれ!

◆で前回正直に申し上げた「気合」というものがなんであるかというと、他愛ないもので「すぐ外にでたくなる僕だけれど今回は机に向かってせっせと書きましょう」というスタートラインから「寝る前にご先祖さまに感謝して眠りましょう」というトンチンカンなある種のゴールラインまでの「気合」である。ここでひとつ。

「寝転がり、足の裏から冥王星、草を枕に、ホーキング」

◆フライヤー情報確定。大判はがきでつくります。デザイン良い感じです。金曜日に届く予定です。プロデュース、ひと段落です。創作に全面シフトです。コーヒー消費量1日1リットルです。肌が荒れてます。犬が遠吠えしています。電車は時間を守っています。僕は今日も自分を疑っています。明日は信じてやりたい。でも気を抜くと桂歌丸さんのモノマネ練習をしてしまう。時間がないのにぃ!嗚呼、僕はタモさんに憧れている。でも心は今日も大漁節(歌丸さんの出囃子)♪

…やや壊れ気味でありまする、とほほ。
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