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小説筆記-7-自転車をもらう
◆去る8日、名曲喫茶『みゅーず』が閉店した。せっかく馴染んできたのに残念だ。本当に残念である。悔しいので一番最後のお客になりにいった。やや溜飲が下がったと思いたい。そして煙草は止めたのだが『みゅーず』マッチをもらった。これはいわないともらえない。カウンターに置いているものではないからだ。「ではふたつどうぞ」と眼鏡にスポーツ刈りのお兄さんがいってくれた。こころ憎いではないか。マスターもカウンターに近づいてきて「ありがとうございました」といってくれた。「おつかれさまでした」といい店をでた。すこし涙が浮かんだ。僕のような浅い常連が最期の客というのもなにかの縁であろう。

◆親父に自転車を頂戴した。机の電話が鳴り「自転車いるかー」と父。「あ、欲しい」と僕。しばらくしてまた電話。「もう着くから前にいてくれ」と父。「あ、はい」と僕。すると車で持ってくるのだと思っていたら、親父は自転車を漕いで来た。元気な65歳である。マウンテンバイクであった。イエスッ!

◆小説筆記ルール(1):毎回ひとシーンを増やす。
◆小説筆記ルール(2):前のシーンに加筆することもある。
◆小説筆記ルール(3):シーンが入れ替わるなどの可能性を担保しておく。
◆小説筆記の前提(1):書いているのは縦書き書式である。


【Libertarian】

人間くさい馴れあいから、つきなみな興奮から
さっぱりと解放されて おまえは
きままに飛んでゆくか。

また見つかった。
何が?―「永遠」。
太陽を連れていってしまった海だ。
(アルチュール・ランボー『永遠』より)


◇『僕はゆっくり掌から零れていく』

 少年は熱いシャワーで身体に残る泡をすっかり洗い流した。小さな掌で小鉢のような器を形作り、湯を受け、三度、顔をすすいだ。左手で目元の水滴を弾いたあと、排水口へ白濁した湯が流れ切るのを眺める。赤い印の蛇口を閉める。少年は用心深く湯と水が切り替わったか確かめ、冷水のシャワーを膝頭に当てて流した。「身体を温め過ぎた。汗が噴き出す。あのひとが嫌うことだ。僕は僕自身を冷やさなければならない」と、少年は思った。
 石鹸の香りと湯気に包まれ、少年はシャワールームをでた。肩まで伸びた、細くやや茶がかった髪から背中に、ポロポロと水滴が零れている。少年は身体に不釣合いな大きさの、分厚いバスタオルを肩掛け、なめらかな白い石造りの化粧鏡の前に立った。丁寧に織り込まれた柊の刺繍が入った柔らかいハンドタオルを棚から取り出し、曇った鏡の水蒸気を、隅から順に拭く。少年は鏡に映る自分を眺める。そして、肩掛けたバスタオルと刺繍のハンドタオルで身体に弾かれた水滴を拭き取る。身体から湯気が発たなくなった頃合で、少年は全身に森の香りのする油を塗り終わった。そして、換気の済んだバスルームに引き戻り、さっき化粧鏡にそうしたように、いま自分の身体にそうしたように、タイルや蛇口に残った水滴を残らず拭き取った。『水滴はあのひとが嫌う。僕はこの家にいる。ルールは守らなければいけない。僕がいる痕跡をひとつも残してはならない。僕はシャワールームを、まるで夏が過ぎた静かな海辺のようにする。ルールは守らなければいけない』。
 少年はまだ上気した裸のまま、真っ直ぐ廊下を歩く。ひんやりとした暗さだ。少年は身体が涼やかに感じる。玄関口の吹き抜けに、ほど高いあたりの窓が、月光の明るみを帯びている。窓は真四角で、正十字の桟がパースの中心に浮かび上がっている。ガラス造りのシャンデリアがときおりキラキラ瞬く。突き当った玄関口の右手に階段がある。その階段の下側に空洞がある。小さな部屋だ。そこが少年の部屋だった。音もなくドアを開け、少年は空洞の闇へ消えていった。

◇『私は愛情の型紙を持たない』

 その車は高速道の光の川から抜けだし、いまは街灯ひとつない山手の道を進んでいる。メタリックシルバーの車体は月光に反射し、艶めかしい光沢を放っている。助手席のブラウンスモークの車窓が開く。女が座っている。外へ視線を向ける。女は長い黒髪を風に梳かしている。観客を意識するような仕草で首をかしげ、笑った。車のスピードが上がる。長い髪が、見知らぬ世界ではためく国旗のような激しさで、風に逆巻く。車窓はゆっくり閉じていく。閉じながら、女は髪をかき上げ右肩の方に寄せるのが見える。
 行き止まりの白い瀟洒な家で車は停まる。ひとつのトピックニュースが流れるくらいのあいだ、そのまま停車していた。一定の間隔でエンジン音が響いている。助手席のドアが開く。女は車を降りる。ロロ・ビアーナの白と浅い青のストライプシャツに、パオラフラーニの黒いシフォンフレアスカート。車は、バックランプを光らせ折り返しきっぱりと、発進する。車は、街灯ひとつない道を走らせ、遠ざかる。テールランプが仄かに消えていく。距離が生まれる。「時間は急速に現実感を失い既視感になる」。女は、左手を上げそれをたっぷり見送りながら、そう感じる。左手を下ろす。振り返れば、真後ろに赤錆ひとつない黒い格子の門扉。その向こうには、祖父から形見分けにもらった、白い洋館が見える。祖父が晩年愛したこの家に住み始めて半年が経った。女は首を左にかしげる。豪華な視線は、グラナダ風に塗り込めた白壁を、眺める。女は首を右にかしげる。大仰な仕草、両手で髪をひとつにまとめ、右肩に寄せる。一歩進む。女は、クリーム色のブザーボタンを続けて四回、親指で押した。

◇『歴史の一切は比喩に過ぎない』

 老人はコーデュロイのジャケットを脱ぎふたつに折った。それを隣の座席に置きながら、注文を待つウエイターを見た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」とウエイターは愛想よく聞く。
「ああ、ブレンドを」と視線を右手の腕時計に移す。
「ミルクをいれましょうか?」その針は十九時を指している。
「ああ、そうだったね。いれなくていいよ」とウエイターを見る。
ここはそれを先に聞く。「かしこまりました」と彼は一礼する。
 彼が厨房へ向かうと、入れ替わるように彼の後ろにかけてあるデフォルメされた絵が見える。その絵が昔からあったかどうか思い出せない。ルイ・ダヴィットの『サン=ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト』のデフォルメ。元絵は、前足を高々と上げる猛った馬にナポレオンが胸を張り乗っている。この絵はその代わりに、こどものナポレオンが微笑ましく勇んでいる。それはこども神輿のような可愛さだ、と老人は思った。
 昨夜、彼の孫から電話がかかった。「遅くにごめん、寝てた?」「MUSEという店が閉まるよ」「お祖父ちゃん、昔よく通ってたっていってたよな?」「知らなかったんじゃないの?」「コンパの帰りに寄ったら友達が教えてくれてさ」「知らなくてもよかった?」「一応、報告」「…コンパの話、お母さんにはしないでね」。
 昨夜はそれを聞いても、商売なんてそういうものだ、と思うだけだった。しかし、日が変わり、目覚め、朝刊を読み、食事をし、ゲートボールのサークルで汗をかき、仲間と昼食に興じ、家に戻り、昼寝をして、目覚め、眼をこすり、まどろみながら、西山の向こうに陽が傾きだすのを見た。その時、友人あるいは恋人と歩き周った路地、『あの風景』が音を発てるように、よみがえってきた。旅の帰りの夜行列車のような「もう戻れないのだ」という決定的な寂しさを伴った感覚で、『あの風景』が遠ざかるように思えた。そして顔を洗い、剃刀を頬に当て、手付大のくしで髪を梳かし上げ、服装を整え、家を出た。
| よみもの | 18:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
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