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小説筆記-4-素直さという正義の段階
◆テーマについて

今日のぼくはおおらかな痛みと、くぐもった短気な痛みを同居させている。鼻炎と偏頭痛のことだ。ぼくにとってその痛み自体、なんてことはない。『左手薬指と右足小指が同時に深爪した』くらいのものだ。

そういう種類の痛みはひとを投げやりにする。『投げやりになり過ぎないように』と理性によるプレシャーをあたえつつ、なんとなくいまのイメージを素直に書き出すことにする。構成はあとだ。文体から練習する。書いているうちにアイデアが生まれたりしないものかと、かすかに期待して。


◆テーマも定めぬまま素直に書き出す


【無題(仮)】-幼年期-

 わたしは寝室のひとつある電灯をすっかり暗くする。二枚重ねの毛布を頬のあたりまで引っ張り上げる。そのままの動作で右側に向きを換えると、バネの強いマットは「ギッ」という音を発てる。そのままじっと毛布が温まるのを待つ。・・・風はただ吹き降ろすだけで、三月が過ぎ去ろうとしている。

 ひな祭の翌日、ストーブを仕舞いこんだ。寒さに思い当たらないよう、燃料を燃やした石油ストーブはキッチンの押入れに煤けたまま仕舞ってある。・・・すこしあの年季物を片付けるのには早かったようだ。

 『去年は、どのタイミングで、毛布を、減らしたか?』という疑問が眉間をノックする。・・・思い出せない。そのかわり『春分を過ぎると世間は桜の話題一色に塗りつぶされる』という現象を思う。疑問のない社会をわずらわしいと思いながら、冷えた身をすくめる。

 眼を閉じていると、きょうのできごとが単色の抽象画となって眼に浮かぶ。

 ―仕事からの帰り道だった。いつものルートでN駅からの家路をたどった。T字路の東角にあるコンビニの横で、複雑な金属音がひとしきり鳴いた。女が倒れた自転車の後輪を持ちながらしゃがんでいた。その左隣りの自転車も倒れている。不貞腐れたようなうしろ姿の女は、簡単なワイヤーロックを外す作業に失敗したのだろう。わたしは不躾な金属音に制止させられ立ち止まっていた。女はとくにあわてるわけでもなく、わたしに気付いた様子もない。ローライズジーンズから無勝手な割れ目が無邪気にはみだしている。それは男が近寄るのを拒否している。わたしはきびすを戻し、家路を急いだ。さらに加速した歩み・・・。

 たどり着いた家の玄関の前で考えがまとまる。
『結論5-6,きっと女は倒した隣の自転車を直さずにその場所を立ち去るだろう。
1,自転車を倒したまま持ち上げるでもなく、不自然にゆっくり鍵を外していた。
2,きっとしゃがんだまま作業をして、立ち上がる、という手間を省いているのだろう。
3,問題なく鍵を外し自分の自転車を握り、自分の重い腰といっしょに自転車も立ち上げる。
4,しかし、そのまま隣の自転車は直さない予定。理由は「面倒だから」といったところ。
5,間違いなく女は倒した隣の自転車を直さない。
6,そして女はあの場所からなにごともなかったように立ち去る。』
 そんな合理的な手順を予感させるうしろ姿だった。その女の不義理より、わたしは、自分の推察の自信が充たされたことに納得した。・・・寝ようとしているのに、両まぶたの抽象画は青い発光体でグニャグニャと、わたしを不機嫌にさせる。

 ベッドに潜りこみ20分ほどが過ぎた。不機嫌な発光体は複数のピンホールの静かな点滅に変わる。心音がゆっくりと穏やかになる。鼓動と入れ違うように、金属のフックで掛けられた柱時計の秒針がアルミニウム製の雨どいに弾く水滴音のようだ。だんだんと強い響きに体感する。それは「コッ」と「チッ」の混じった音。寝る前はいつもそう考え、それは新しい発見のように思え、いますぐだれかに伝えたい気持ちになる。時計音の認識は、冷凍庫に戻した食べ残しのアイスクリームのようなものだ。いつも忘れ、タイミングを失くしてしまう(その食べ残しは風呂上りに食べようと考えているのだが、ヘアドライアーの轟音で忘れてしまっては、つぎの機会に持ち越される)。忘却のはじまりはすでに夢のいりぐちだ。 

 毛布のぬくもりは急にやってこない。幼年期の寝具には自分以外の暖かさや湿気が充ちていた。それに慣れきって、たとえば親戚の家のひとり寝に心細い思いをしたものだ。湯たんぽや気の利かない飼い犬との添い寝、それを見守っている母親の心強い存在。それらはわたしにとってあたりまえに用意されていた。けれどそれを思い返すとき、胸が締め付けられるような思いに苛まれる。それにはふたつの理由がある。

 ひとつは、冬の真夜中に目覚めて眠れなくなった幼年の『記憶』への感傷。―枕許の目覚まし時計を手に取り眺める。それは発光塗料の絵。三日月に腰掛け泣いている双子の天使の絵だった。偶然この寒さから逃れている自分が、この幽かに光る双子の情景の、暗がりの深夜にひとりぼっちで泣いているように思えて、その双子はいつの間にか、理不尽な様子でわたしと入れ替わり、偶然のぬくもりを盗んで、まさかスヤスヤと寝ているのではないかと不安に覚えて、涙を浮かべながら振り向き母に抱きついた『記憶』―が繰り返しあらわれる。それを消せないこと。

 もうひとつは、あしたのためにおこなう周到な『睡眠』という種類への嫌悪。―他者による擁護の、絶え間ないぬくもりと、世界中の善を凝縮したようなユリカゴは、すでにわたしのたもとから失われてしまった、という安定した思考と、無期待の『睡眠』の輪転―の感傷。わたしの感傷に圧倒的な喪失感が根付いたのに気付いたこと。

 春陽に溶けたツララが耐え切れず接点を剥がれ、地面に鋭く突き立てるように、わたしの思い出を貫く。それらは過去と現在を同時性の感傷に陥らせては、ひやりとした冷たさで胸を締め付ける。そうしてウトウトと、眠りの階段をくだりつつ思う、冬の思い出は、かくも寂しい。
| よみもの | 06:09 | comments(0) | trackbacks(1) |
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我が家の古い柱時計。
私は時間にルーズです、子供の時からず~と今でも。自慢にはなりませんが、時間の観念が薄い(?)のか。小学校・中学校・高校と自宅から歩いて通学していた時のお話です。子供の足で小学校までは約10分、中学校までが約12分高校までが約15分ぐらいでした。通学時
| シチズン電波時計を手に入れて電波時計の凄さを知る! | 2007/01/12 10:20 PM |

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