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続あとさき日記-06-大阪公演終了
◆もうもう、てんやわんやの結成15周年記念作品【Ato-Saki】大阪公演が終わった。東京公演への改編・練り直し作業が今日から始まる。長い旅路といえる。感想などうかがう。おおむね好評と聞く。しかし賛があれば否もある。これは当然である。ただでさえ2時間40分弱の上演時間である。「作品の長さを感じる」あるいは「感じない」といった感想の理由が主に、日によって変化する役者・スタッフワークの合致具合にあることに気付く。合致した回、たとえば29日土曜日のソワレ回などは長さなんか感じなかったというお客さんがかなり多かったそうである。長い時間の芝居はある種、街の喧騒に似ている。その街に住む個人は、だれがどこでどんな喧騒を生み出しているかなど意識し得ない。個人の印象を超えた視点で俯瞰することでしか喧騒は存在しない。大き目の音で音楽を聴いている個人がいても、まさか街の喧騒の一端をになっている意識などはない。【Ato-Saki】のようなゆったりと進む群像劇は演出としてもコントロールが難しい。そして、ひとつひとつのシーンの日々の変化が全体のバランスを崩してゆく。崩すこと自体は悪いことではない。変わる、という意味と同義である。変わらないと進歩がない。そういえば将棋でも「なにも指さないほうが最善」という局面があり、かといってパスという選択肢はないため指す。すると全体のバランスが崩れる。それまでクールに演じていた役者の熱の高まりが、あるいは声を張っていたシーンのトーンを落とした演技への変化が、全体のバランスを崩す。ぼくは脚本を書き、演出をし、そこに音楽を当て込み、役者とスタッフに対する、戯れのしきたりを作る。しきたりは強固で理と感性に訴えるものがよい。そのしきたりのなかでなるだけ自由に演じてもらいたいとぼくは思っている。舞台は幕が開けば役者のものだ。ぼくはラグビーの監督のようにスタンドで見守るしかない。信じるしかない。そしてしきたりと役者のイマジネーションのはざまで舞台は日々動き続け、完全なる再現性を示すことは一度もない。このような意味を「一回性の論理」と師匠方の松本雄吉先生は仰ってたのかな、と思う。正直「くそう、今日はよくなかった」と思う回はお客さんに対して申し訳ない気持ちがあふる。だからこそ【Ato-Saki】において信じ任せている場所と時間には、一身の責任をもって奮闘してくれまいか、と役者・スタッフに、さらなる要求をするつもりだ。ぼくも当然頑張る。よろしくお願いする。

◆来年1月、ヴォガは結成15年を過ぐる。どれだけやっても「やはり舞台は難しい」という思いが大阪公演終了後に残った。そしてだからこそ考え声を出して行動してさらに進化させた【Ato-Saki】で東京に向かいたいと思っている。

★ご来場いただだいた方、協力いただいた方々、ありがとうございました。
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