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銀30日記-07-底の底にあるもの
◆眼の下にすごいクマができた。黒ずみ、といってもよい。これはまあ、一過性のものであると思われ、他愛のない通り雨のようなものである。洗濯物の心配程度の。

◆今回はキャストが全員、男である。『駆込み訴え』という作品を舞台にあげようと企んで、やはりこれは男でやるべきだろうと考えた。

◆あらかじめ断っておきたい。原作モチーフ、というくらいで、かなりぼくの妄想やら空想によって物語を膨らませている。しかし、改悪、ということにならぬよう沈思している。たんに『駆込み訴え』を一人芝居でやるよりもさらにさらに面白く感慨深いものにしなければ立つ瀬がない。それはいわゆる大作家である太宰さんに対する礼儀ともいえる。

◆ぼくは自分の存在を悲観しているのであるが、自我の底にはいずりまわりつつ、一周まわって、という意味で楽観にも似た心境でもあり、なかなか他人からみれば様々な受け取り方をされて、まあ、お任せしている次第。自我の底の部分にあるものは小汚くみすぼらしい、妬みそねみ、後悔や失望、あるいは執着であったりするからして本当は、なるたけ見たくも考えたくもないのだが、そこは創作活動の負のエネルギーとして今回は活用している。クマもできるわけだ。復讐するは我にあり。

◆明るさで生活を営みながら暗い作品が表出される、という『中島みゆき方式』とも『北野武の振り子理論』とも呼ぶべきロヲ=タァル=ヴォガの創作である。しかし、基本は面白いことが大切だと思う。うまくいくときもあるしそうでないときもあるが、やっぱり、映像や美術の見せ方や音楽の広がり、役者の演技、いろいろと趣向を凝らし、楽しめる興味深い作品にしたいとぼくは思っている。それはきっと創作活動の正のエネルギーだ。

◆太宰さんの作品を映画化、舞台化するのにあたってぼくが留意していることは、彼の作品、あるいはひととなりに愛情をもって創作すること、である。悪し様に彼をザッピングして切り貼りすることはきっと簡単だ。しかしいま原作モチーフとして取り上げるに、ぼくなりの必然性がなければならない。いま見聞できる彼のことがらのその底の部分、さらにその底の点を発見しなければならない。なにを思ったのか、なにが彼にその物語を書かせたのか。彼がみたであろう夢を、つじつまのあった夢として、現実の舞台に乗せたい。愛情をもって創作すること、それは恐らく同時に憎しみをもつことでもある。その両面が、正と負の両面が、よい作品を作らせてくれる。そう思いながら、『SILVER 30』に向かっている。
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