続あとさき日記-07-【Ato-Saki】東京宣伝作戦01
◆11月22日大阪日日新聞朝刊に【Ato-Saki】大阪公演の劇評が大きく取り上げられた。作品の本質的な部分をしっかりした文章で書いていただいた。地味な劇団の自覚のある当方といたしては有難く、感謝する次第である。

表紙絵・足田メロウ


◆東京は遠い。思えば関西で公演を14年やり続けてきた。しかも劇団同士のつきあいや交流もほとんどない。『ガラケー』とか聞くとドキッとする。東京は遠い。あのような縁もゆかりもない場所で舞台をする。身の程は知らず。会場費がタダ同然の演劇フェスに参加することもない。こんなリスキーで不利な公演を決行する劇団は我らがヴォガしかなかろう。本当にバカなのかもしれない。

◆20代の僕にとって、ずっと東京は遠い場所だった。当たり前の生活を望まず、恋人への義理など一顧だにせず、才無き不幸を呪いながら懸命に脚本を書き、鬼のような顔をして稽古でがなり、メシも喰わず身をすり減らし音楽を作っても、こしらえた舞台は一度たりと、ひらめいたイメージにたどり着けなかった。舞台の出来不出来の問題ではなく「イメージにたどり着けているか、否か」というテーゼである。それには才能・努力だけでなく人材やお金もいるかもしれない。しかしそれも全部自分の問題であると思う。ひとりで全部できないかもしれないが、全部ひとりでできるかもしれない。ヴォガにそんな連中が集まれば恐れるものなどあるべきものか。と思えど不成。そんなこんなで地元関西の公演もそんな状態であるのに関西から出る公演なんて思いもしなかった。振り返ればそんな20代である。

【Ato-Saki】大阪公演/写真・中野雨衣子


◆とはいえ僕はネチネチとある種のたくらみを進めていた。いまとなればいわば信条を守ったといってもよい。それは15周年という区切りを劇団の大いなる転換期にしよう、というたくらみであった。10周年記念作【新青年】公演後は深い谷にもぐりこんでしまい、悪い意味での大いなる転換期(停止期といってもよい)となった反省にもとづく。反省の理由として、

‖緝愁ゲロヲの活動休止(深くは語るまい)
1,000人動員しながらも発生した200万円を超える大赤字の返済(3,000人動員する気だった)
8演できず劇団員がひとりまたひとりと去る(去るものは追わぬ)
じ充惰避のために日々宴会を開催する僕の私生活の乱れ(勝負師イメージの誤用)

といったものが挙げられる。
とにかく[すべからく15周年記念作は飛躍するべし]と胸に深く、あたかも親のカタキのように刻み込んだ。
※ちなみに前述が正しい「すべからく〜べし」の用法。漢学者高島俊男先生によると「すべからく=べし」という意であって、2重に「べしべし」いうとるそうだ。べきであるある。

◆東京は遠いが、ひとりでも多くの観客の前で表現したいと願っている。だから今月末、生活が壊れんばかりの生活状況の中、僕は無理やり東京へ宣伝にいく。家人には苦労をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。そういう按配なのでどうか東京のみなさま、奮って僕に連絡くれたし。どこでもいってチラシを散らし、チケットを売る。その間にノートPCを開き、脚本を推敲し、音楽をこしらえる。左手にチラシ、クチにチケット、右手にマウスの心意気である。

【Ato-Saki】大阪公演/写真・中野雨衣子


◆そして関西在住の親愛なるヴォガ関係者、そしてそして【Ato-Saki】大阪公演をご覧になって「良い舞台だった」とお思いになられた親愛なる観客の皆様。関東在住の知人・友人・知人の知人・友人の友人にいたるまで「ヴォガ観にいったらよいよ」とお伝えくださいまし。平に。切に。
| 続あとさき日記 | 07:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
続あとさき日記-06-大阪公演終了
◆もうもう、てんやわんやの結成15周年記念作品【Ato-Saki】大阪公演が終わった。東京公演への改編・練り直し作業が今日から始まる。長い旅路といえる。感想などうかがう。おおむね好評と聞く。しかし賛があれば否もある。これは当然である。ただでさえ2時間40分弱の上演時間である。「作品の長さを感じる」あるいは「感じない」といった感想の理由が主に、日によって変化する役者・スタッフワークの合致具合にあることに気付く。合致した回、たとえば29日土曜日のソワレ回などは長さなんか感じなかったというお客さんがかなり多かったそうである。長い時間の芝居はある種、街の喧騒に似ている。その街に住む個人は、だれがどこでどんな喧騒を生み出しているかなど意識し得ない。個人の印象を超えた視点で俯瞰することでしか喧騒は存在しない。大き目の音で音楽を聴いている個人がいても、まさか街の喧騒の一端をになっている意識などはない。【Ato-Saki】のようなゆったりと進む群像劇は演出としてもコントロールが難しい。そして、ひとつひとつのシーンの日々の変化が全体のバランスを崩してゆく。崩すこと自体は悪いことではない。変わる、という意味と同義である。変わらないと進歩がない。そういえば将棋でも「なにも指さないほうが最善」という局面があり、かといってパスという選択肢はないため指す。すると全体のバランスが崩れる。それまでクールに演じていた役者の熱の高まりが、あるいは声を張っていたシーンのトーンを落とした演技への変化が、全体のバランスを崩す。ぼくは脚本を書き、演出をし、そこに音楽を当て込み、役者とスタッフに対する、戯れのしきたりを作る。しきたりは強固で理と感性に訴えるものがよい。そのしきたりのなかでなるだけ自由に演じてもらいたいとぼくは思っている。舞台は幕が開けば役者のものだ。ぼくはラグビーの監督のようにスタンドで見守るしかない。信じるしかない。そしてしきたりと役者のイマジネーションのはざまで舞台は日々動き続け、完全なる再現性を示すことは一度もない。このような意味を「一回性の論理」と師匠方の松本雄吉先生は仰ってたのかな、と思う。正直「くそう、今日はよくなかった」と思う回はお客さんに対して申し訳ない気持ちがあふる。だからこそ【Ato-Saki】において信じ任せている場所と時間には、一身の責任をもって奮闘してくれまいか、と役者・スタッフに、さらなる要求をするつもりだ。ぼくも当然頑張る。よろしくお願いする。

◆来年1月、ヴォガは結成15年を過ぐる。どれだけやっても「やはり舞台は難しい」という思いが大阪公演終了後に残った。そしてだからこそ考え声を出して行動してさらに進化させた【Ato-Saki】で東京に向かいたいと思っている。

★ご来場いただだいた方、協力いただいた方々、ありがとうございました。
| 続あとさき日記 | 17:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
続あとさき日記-05-名曲【手のひら】04
◆先日家人がヨーロッパ(ザックリしてるが)に行った。1ヶ月の演奏旅行だ。幾分、不安はあるが、とりあえず家を掃除しまくって洗濯して台所をピカピカにしてお粥を作って食べた。粥をすすっても、ひとり。齢36の大人である。おろおろうろたえていてはいけないのだ。ひとりでも大丈夫なところを存分に自覚したい今日この頃。

◆【Ato-Saki】は再演とはいえ脚本を大いに練り直さねばならない。もう5年過ぎてずいぶんいまの感覚と違うし、不親切で不寛容な部分も見える。鉢巻締めて不退転の覚悟で書いている。ご期待いただきたい。

◆さて名曲である。飽くまで私の主観である。今回は長渕剛さんを紹介する。家人に「良い曲じゃない?」と長渕さんの曲をかけて聴かせると「ひとりでヘッドフォンにして聴いてくれる?」と辛辣に責められる、を例にあげるまでもなく『アンチ、ナガブチ』は多い。確かにとんでもないキャラクターである。ドラッグで捕まったりもした。なんともいえないが、良くも悪くも自分を変化させ続け、この生き馬の目を抜くような芸能界でしっかり活動しておられる。社会性の強いひとは彼のような人物は嫌いかもしれない。音楽を聴くまでもなく、おなじコミュニティで仲良くなれそうもない、と表層心理で思った瞬間に『ダメ』ということだろう。それはそういうことでしょうがないが、そういう社会だからコスプレ的ではない真性のアクのある人物が世に出れなくなってしまったのではないか。

◆彼には歴史がある。30年を超えるキャリアがある。私のようなオールドファンにはいわゆる『さわやかツヨシ』時代の印象のほうがまだ強く残っており、現在の彼の変容に対して戸惑いのような感覚はある。けれども私は嫌いになるどころか、まだ新しいファンをしっかり開拓し続けている姿に敬意を抱く。ただ彼の新曲の音楽性とは共感できなくなってしまった。

◆多かれ少なかれ、長く一線で活動する表現者はふたつのものを持っている。ひとつは時間軸のなかで対外的な自分を変化させ続けること。かなり強い意図で『変態』させている。もうひとつは歌詞にせよメロディにせよ存在に対し、執着し続けるフェチを持ちそれを変化させないこと。そこは単なる『変態』といってもよい。そのほとんどのベテラン表現者は両方を持っている。少なくともいづれかは持っている。私は例外を知らない。小田和正さんはフェチ派か。井上陽水さんはどちらも持っているがやや変化の振り幅が穏やか。伊勢正三さんはフェチ派だ。南こうせつさんはどちらでもないのか?ん。…でもかぐや姫は好きだ。泉谷さんは…、閑話気味になってきた。

◆今回はいわゆる『さわやかツヨシ』時代の隠れた佳作【手のひら】を聴いていただきたい。美声である。叙情である。『アンチ、ナガブチ』様方にちょっとは彼を見直して欲しい。叙情が嫌いなひとは別の機会にでもそういった曲を紹介したい。ま、嫌いなままでもいいのだが。

◆改めて聴いて、ふと思い出している。中学に入った時分だろうか、SONYドデカホーンCDが家に届いた。「欲しい欲しい!」と姉と二人で協同し地団駄踏んで母におねだりし買ってもらったのだ。その黒光りする新品のドデカホーンをダンボールから出した瞬間の金属の匂い。嬉しい匂いがする。そしてまだそれほど普及していなかったCDを買いに走る姉。初めて聴いた曲はレベッカだったと思う。封を開けびっくりする私たち。その見たことない七色の輝きはどうしたことか。一同、うっとりする。私の世代にとってはまさに『青春の輝き』。CDに一番驚いていたのは母だ。「こんなんで音なるんやー」とうなる。母子家庭で貧乏だったけど、彼女は姉弟に不自由を感じさせなかった。みんな楽しげに笑っている。…いま眼前にそんなささやかな家族の仕合せが見えているのだった。

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| 続あとさき日記 | 04:58 | comments(1) | trackbacks(0) |
続あとさき日記-04-名曲【電光石火に銀の靴】03
◆稽古が充実してきた。動き(ヴォガ符牒では動作)を作っている。最近は劇団員だけじゃなくぼちぼちと客演の役者も参加し始めた。稽古場の人数が増えると、あたかも小学一年生の足し算のように活気が増えるようだ。これ然り。台本は例の如く遅れ気味。だが動作稽古は進んでおり、また、役者も懸命に取り組んでいるので役者的には『台詞と動作の稽古のどちらを先にやるか』といった順序の問題に過ぎないであろう、とただ言い訳。あたし、やります!

◆なお、先行予約は終わった。みなさん、お早めに。私、近藤和見の知人・友人の方はご連絡を。

◆さて今回の名曲である。20年前のこと。遅れてきたフォーク少年だった私は明らかに古臭いなにかを放つ若者だった。ときおりTVで深夜、放送される60・70年代フォークの映像を三角座りで見ながら「じいいいーん」と小さな胸を熱くしていたことであった。学校では友達と呼べる相手が片手に余った。昼は独りで弁当を手早く喰い、むしろ食後、ルンルンと教室から小走りに理科準備室へ移動。理科準備室の鍵を内からしっかりかけ、私は独りになれた。理科の先生が憐みからか、音楽部屋としての使用を許可し鍵を貸してくれたのだった。私は毎日無駄にギターをかき鳴らし無駄に声を枯らし、心地よく汗をかいた。弾き語る歌手たちは吉田拓郎さんや尾崎豊さん、伊勢正三さん、かぐや姫さん、長渕剛さんや井上陽水さん、そして今回紹介する泉谷しげるさんであった。私のスター達である。誤解を恐れず言うならばこうだ。私だけのスター達だ、と。そう思いたいくらい一曲いっきょく、歌詞やメロディを真剣に考え思っていたのである。

◆「近藤和見の作る曲にフォークの片鱗がない」と言われる。自分では解らない。いや解っている。コンピュータを駆使した音のなかにしっかりフォークソングの文脈は埋めているつもりなのだ。それはフォークソングに造詣の深いファンしか感じ取れないものなのだろう。しかしあえて感じ取れないようにしている自覚もある。嗚呼、難解なる我が心よ。青春時代を振り返ると言い訳じみる。まるで不完全な過去の自分を補おうとするようだ。キリがない。とにかく、とりあえず曲紹介だ。歌詞をご覧になっていただこう。
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【電光石火に銀の靴】詞・曲:泉谷しげる

君を君をとじこめる奴の気が知れないぜ
君を君をとじこめる奴は君に気づかない
火の中をかける君こそステキさ
嵐に花を咲かす君がイイ!

電光石火に銀の靴
これが君へのプレゼント
電光石火に銀の靴
これが君へのプレゼント

サイクルの耳かざりと
シルバーのサングラスと
ピンクのシャドウと
ブルーのドレスが君らしい

君を君をとじこめる奴の気が知れないぜ
君を君をとじこめる奴は君に気づかない
イナズマにキスをする君こそステキさ
シャウトの夜をドライブする君がイイ!

電光石火に銀の靴
これが君へのプレゼント
電光石火に銀の靴
これが君へのプレゼント
___________________
◆絶妙の不思議と現実を感じる。初版グリム童話(桐生操のではない!)の作品のようではないか。泉谷さんには、ほかにもたくさん好きな曲がある。味わいある曲が多い。いわゆる名曲と思しき選択はほかにもできる。今回が泉谷さんのベストというわけではない。だけれど、2011年9月2日の私にはこの曲が急迫するのである。きっと、近づく強い風にあおられているのだ。



◆思春期に出会うことはすべてこれ、死ぬまでの血肉であり宝だ。泉谷しげるさんのカセットテープをわざわざ作り私に下すった青春時代の数少ない友達、R・I氏に出会わなければ今の私はない。この場を借りてR・I氏に深く感謝する。
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| 続あとさき日記 | 07:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
続あとさき日記-03-名曲【思秋期】02
◆去る8/6(土)に京都三条木屋町UrBANGUILDにて執り行った顔合わせ一般公開イベント、無事終了いたした。半分スタッフ・役者、半分が一般のお客様。顔合わせの制作話なども含め一般公開するという非常に変わったイベントであったが、みなさん楽しんでくだすったようで感謝したい。僕もひさびさにピアノ弾き語りの芝居(前回上演時【Ato-Saki】オープニングシーン)をカゲロヲ氏と競演して、個人的にも楽しめたイベントだった。たくさん応援の言葉もいただき、重ねて、ご来場に感謝したい。同日8/6(土)からスタートした【Ato-Saki】チケット先行発売もよろしくお願いいたしまする。

◆さて、名曲を。今回はもはや巨匠といってもよいヴォーカリスト岩崎宏美さんの曲を紹介したいと思う。曲名は【思秋期】。あえて作品発表時ではない映像を選んだ。改めて聴いてみると、彼女ほどの歌い手が現役最前線にいない日本の音楽市場が寂しく思われる。それは僕だけの感慨だろうか。テレビの歌番組は如実に流行を追う。それは当然である。しかしながらその1/3、いやせめて1/5くらいの時間を実力あるベテラン歌手を取り上げてくれまいか。聴きたいひとは多く潜在しているはずだ。せっかくの才能もその実力を維持したまま枯れゆく。ある種の理不尽を思う。そういうものだ、とは言えまい。視聴者がただ漫然とメディアから出されるものを待っているからそうなるのかもしれない。それはメディアだけの問題ではないのだ。抗しがたいことである。しかし、何度聴いても染み入る歌声だ。コンサートがあったら行こうか。選択肢は狭まるがなくなるわけじゃないのだから。

◆しかしながらこの声量よ。この繊細な歌心よ。

◆作詞:阿久 悠・作曲:三木たかし、素晴らしい組み合わせである。おふたりとも故人となられた。しかし歌は残った。僕の心にも残った。いち表現者として羨む。僕も努力して世に残るなにかを作って行きたい。

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| 続あとさき日記 | 12:58 | comments(2) | trackbacks(0) |
続あとさき日記-02-名曲【秋冬】01
◆生活が苦しい。「酒は楽し、将棋は苦し、人生は哀し」、嗚呼!まず舞台のことばかりしているとこうなる、の例だ。この構造を恨むよりなんとか自分で改革するべき、と己が青白き尻を鞭打たねばならぬ。とはいえ、徹夜で考えた作品を稽古する日々が嫌なことあろうはずなく、充実した気持ちと暗鬱な現実感のつばぜり合いがこのちっぽけな心の内にある。…「ビジネス」とつぶやいてみる。

◆書いたり考えたりしながら、ぎざぎざした夜の隙間をほっとYouTubeで埋めているのだが、もはや36歳というミドルに差し掛かった『哀しき我が心』が、文字通り失った何かを、埋めよう、埋めようと急くのか。

◆強要するわけではないのだが今回、是非、紹介したい曲がある。それは高田みづえさんの【秋冬】である。「シュウトウ」と読む。名曲、と題しているが、わたくし近藤の主観である。議論の余地は、お聴きになった上でのあなたの脳細胞と精神にある。悪しからずや。



◆紹介するからには「わいは昔からみづえファンでっせ!」と言いたいところだが、じつはこの方の記憶はほとんどない。しっかり存在を覚えているのに、あまり彼女の振る舞いや様子が浮かばない。何故あろうか。おそらく高田みづえさんの美しさであるとか、歌の素晴らしさが少年の近藤和見にはピンとこなかったのだろう。率直に言って地味な佇まいである。しかし『哀しき我が心』目線といおうか、現在の感覚で見ると高田みづえさんはとても可憐である。儚げである。

◆私は最近、ふと気付けばこの曲を無意識にくちずさんでいる。お風呂でもトイレでも駅のホームでも、おそらく思い詰めた顔をしてくちずさんでいる。不思議である。運悪く目撃した人も不思議な気持ちになっているだろう。ピンとこなかったわりにしっかり記憶に定着していたこの曲(だからこそ名曲と解する)、その記憶に対してバッドミドルの『哀しき我が心』は共感を求め、邂逅したのではありますまいか。「♪季節の変わり目をあなたの心で知るなんて」云々、あたかもこの歌詞が「♪世代の変わり目をみづえの美声で知るなんて」と私に切なく教えるようだ。

◆イベントも近い今日この頃。以下、詳細です。出来たてホヤホヤのフライヤーも配ります。素晴らしい表紙絵をご存知、足田メロウさんが描いてくださいました。知らない?あんた、もぐりだな。そしてチケットが早く欲しい!という奇特なお方。我がことながら、自信を持ってお勧めします。そうじゃなきゃやってる意味がないのであります。是非、一切合財、お越しあれ。
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| 続あとさき日記 | 07:08 | comments(4) | trackbacks(0) |
続あとさき日記-01-Performing Arts Company VOGA
★事件です。公演準備を進めています。地下水脈のごとく見えないところを進めています。いまのうちに留意していただき、予定を空けてくだされ。いい舞台をお見せできると思いまする。初の東京公演です。

Performing Arts Company VOGA

結成15周年記念作品
【Ato-Saki】
作・演出・音楽:近藤和見

◇出演者
草壁 カゲロヲ
ハ・スジョン
ふくだ まさと
昭和 今日子
(※以上、ヴォガ)
足立 昌弥
新井 達也(CrossRopeLife)
岡田 将司
田中・G・ツヨシ
堀井 和也
松嵜 佑一(A級MissingLink)
ゆかわ たかし(昭和芸能舎)
横山 直樹
谷 弘恵
高橋 理紗(空の驛舎)
滝沢 侑子
ののあざみ



◇大阪公演

☆日時
2011年10月22日〜30日
☆大阪公演会場
大阪芸術創造館:大練習室


◇東京公演

☆日時
2012年1月6日〜9日
☆東京公演会場
シアターグリーン:BASE THEATER

★詳細はまた。7月末にフライヤー、こしらえます。

★ん?お気づきになられましたか。あなた流石ですね、というよりしょうがありますまいが。そうです、そうなんです。劇団名を結成15周年記念より変えます。

Lowo=Tar=Voga(ロヲ=タァル=ヴォガ)

↓改め

VOGA(ヴォガ)

★長年、連れ添ってきた愛着ある名前です。が、変えます。意味はイタリア語で『流行(トレンド)』ということだそうです。が、もともと「僕」という言葉を「ヴォガァ」ともじったところから始まっているので、正味意味があったなんてちょっと面白いくらいです。
 …ふっ、『トレンド』。
 …正気か。

★先日VOGAは、『冬将軍』という東日本大震災のチャリティイベントに出演しました。そのときのテキストを以下に発表します。ちょっと詩的な表現でもあり、意味を限定できないところもあるので、考えるより感じてもらえれば、と思います。
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| 続あとさき日記 | 19:32 | comments(4) | trackbacks(0) |

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