【BAR Lowo=Tar=Voga】開店日記-03-わたしは無力
◇12月某日、わたくし近藤和見は押さえ込んでいたとある心情を抑えることができなくなっていた。

◇2013年、馬齢を重ねとうとう今年で38歳になる。舞台活動は多くの人を巻き込む。そしてそのほとんどの関係者に資本主義的利益はない。自分もまたそうである。もとより華もなく芸はつたなく、努力や根性と思い込みを尖がらして半歩半歩進めたこの10数年間の歩み。しかしまだ38歳といえどもう38歳。「おれは新人類かもしれない」と思ったほど寝ずに活動できた20歳台のわたしはすでに過去の他人となり、アルバイトでは大学生に「あの歳でバイトって終わってるよねぇ」とあえて聴こえる陰口を叩かれ、なにくそ、ここからが勝負なんだと自分に言い聞かせるも、精神的には断崖のタンポポのようにこのままひっそりと我枯れてゆくなり・・・、などと厭世の感を強めていた。

◇12月某日、わたくし近藤和見は愚図な観念で抑えてきた熱心を隠すことができなくなっていた。舞台活動はまわりが「やめときよ、舞台なんて喰えないし、どうせ続かないって」と反対しても頭をひねり胸を叩き左右のひざを繰り返し折り伸ばしすることで前に進んできた。日常生活においてはどうか。惰性でアルバイトや仕事をして暮らせる年齢ではなくなった。明々白々の事実。わかりきった結末に進むほどわたしはナルシストではないしそもそもヒロイックな感情は嫌いだ。手前でなにかするより他はない。自分でお店を作り営業し糧を得ねば、遅かれ早かれ演劇活動も続けることができなくなる。あるいは天涯孤独に「わたしはすべての幸福を捨てて舞台をしているのだぁ」などと夢想家を気取るしかなくなる。嫌だ、と思った。そうして熱い日本酒をちびりひっかけて眼をきつく瞑り精神を落ち着けたわたしは、家族、友人、知人に我が意を伝え、その決意はけして翻らないことを周知するに至ったのである。

◇その後、物心双方へさまざまの協力をいただき、開店へ向け進めることができた。とりわけUrBANGUILDオーナーの次郎さん、家主の森川さんには深くお世話になっている。

◇で、内装が始まり「ぼくも雑用でもなんでもします!」と鮫島(VOGA創始メンバーのひとり)からゆずりうけた濃紺のつなぎを着込み、道具も運び「さぁ、なんでもしまっせ!なにしましょう」と尋ねると「いや、なんにもすることないし、これどう?とか訊きたいときに決めてくれたらええわ」と次郎さん。つまりなにもしないでくれ、ということであった。わたしは無力であった。

◇で、今日メールが届いた。「入り口に積んでる廃材に、燃やしたら黒煙が出る接着剤が着いてるからそれ剥がしてくれ」との由。初めて仕事をもらった。明日頑張ってべりべり剥がそうと思う。

店のそばに流れる高瀬川にかかる【くるまやばし】

壁が張り変わった
| 誰かのための日記 | 00:11 | comments(1) | trackbacks(0) |
【BAR Lowo=Tar=Voga】開店日記-02-お店を始める
◇京都三条下がった北車屋町通り西木屋町にて宿願であったお店、BARを始める運びとなった。屋号は【BAR Lowo=Tar=Voga】である。おととし、Lowo=Tar=VogaからVOGAに劇団名を変更したのだが、その過去の名前であるLowo=Tar=Vogaをモニュメントあるいはドキュメントとして残せればいいな、と思っている。マスターはわたくし近藤和見。20代はお酒の仕事をしてたっけ。目下リハビリ的に練習中。アルバイトはまだ決めていないが100パーセント必要(夕方の稽古ができなくなる!)なので、現在募集中である。

◇ちなみにみなさん気になるところでしょうが代表のカゲロヲ氏はじめ、わたし以外のVOGA関係者はお店にいない。ただしお客さんで来てオダを上げているかもしれない。将来的には【BAR Lowo=Tar=Voga】と【performing arts company VOGA】の価値を相乗的に高めていければよいなと思っている。

◇京都木屋町UrBANGUILDの次郎さんに依頼した内装工事は進んでおり、申し訳ないほどの少ない予算で工夫していただいている。内装で最低限の予算は大事であり次郎さんのポテンシャルを最大に発揮してもらえないのが残念であるが、わたしにその責がある。

BAR_LTV_20130213

★去る2月13日カウンターをバラした状態を写真にパチリ!


◇また徐々にブログに開店に向けた進行情況をupしていく。
| 誰かのための日記 | 18:31 | comments(1) | trackbacks(0) |
【BAR Lowo=Tar=Voga】開店日記-01-序の序
◇ほんとうに長らく書いていなかったこのブログ。ツイッターやフェイスブックをやっていた。現代におけるブログの存在意義を問うとやはり愛着もあるので辞める選択はなかった。このブログ実は前段階の非公式ブログから見て10数年、20代から書いているのであった。

◇体罰のこととか女子柔道のこととかアイドルのこととか、なにかが壊れたような事件が多い。その揉め事の種類もなにか眼に見えぬ『ぬえ』のようなものを過剰に恐れていたり、いわしの頭を干したら済むのか!と怒ってみたりするような事件に思う。みもふたもないような、そんなあらましばかり。肝の据わった顔役や、整理して問題を解決するインテリや、愛情や惻隠の情で枯れた心を潤す博愛者や、ならぬものを「ならぬ」と言い「それを決めたら真っ直ぐゆけ」と背中を押してくれる人格ある老年者はどこで活躍してるのだろう。ならず者のわたしには、それが気になってしまう。

◇【Ato-Saki】大阪-東京公演後、VOGAはどうしてるのか?と思われている方も多いかと思いますが、ちゃんと稽古も続け、公演の準備も進めておりますのでそのときはどうぞよろしくお願いします。

◇今後のVOGAの方針として、自分たちなりの全精力・全人格をかけた公演しかしないことに決めた。だからしばらくは公演の数を多くできないことになりそう。時代を逆行していると自覚はあるのだが、いろいろ勘案した結果そうだと思ったのでご容赦ください。

◇なぜ久々にブログを書いているのか。それはわたくし近藤和見に大きな転機がきたからであります。それはVOGAそのものの未来にも関わりがあり、あるいは超極私的なことでもあります。その発表のときが近付いてきたのでその春めいたようなわたくしの気配をみなさんに感じていただこう、という意味で再開させました。今後ふたつきほどこのテーマで書き繋いでゆこうと思います。どうぞ、おつきあいのほど。
| 誰かのための日記 | 05:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
誰かのための日記-028-東京⇔大阪公演
◆今年はとても恐ろしい何かが起きてしまいそうで怖い。最近忙しいのだけれど、ふと、われに返るとそんな不安が過ぎる。そうだった、僕は不安症なのだった。

◆明日、朝から新幹線に乗って(バスで行きたいのだが時間がないのだ!)東京の劇場と契約しにいく。今年の終わりに大阪公演。来年の初めに東京公演。来年2012年はLowo=Tar=Vogaの結成15周年記念公演をすることになった。先のことだがお見知りおきを。

◆感染力の強いなにかが着実に広がっている気がしている。そうだった、僕は。
| 誰かのための日記 | 03:50 | comments(2) | trackbacks(0) |
誰かのための日記-027-はやい
★【鳥がいない】公演が終わって一度もブログを書いていなかったことに愕然。ついこの間のことのようだが、すでに、ひと月と2週間が過ぎている。ツイッターに参加し始めたからかと思うな。「ブログ楽しみにしてるんですよ」といってくださる方もいて、もっと書かないととは思う。「ブログの1回がいつも長すぎるんじゃないですか?」という指摘もある。

★【鳥がいない】公演は盛況のうちに終えることができた。そして次回公演はまだまだ先になりそう。なにせ時間が過ぎるのがはやい。ずんずん進む。はや過ぎる。だから公演はまだまだ先だと思っていても、きっとすぐにやってくるのだ。安穏としていられない。
| 誰かのための日記 | 00:27 | comments(2) | trackbacks(0) |
誰かのための日記-026-東京
◆去る月の初めに東京へいってきた。丸10日間の旅である。旅の目的は数少ない。むしろ人生の課題が山積している状況のなかの上京。変な話なのだが、こちらでまとまらない考えをゆっくりとしたスケジュールの旅先で確実に結論づけようという目論見であった。

◆なにせ東京はひとが多かった。中野の商店街ですらすでに心斎橋筋商店街より栄えている。よくテレビでやる寂れた商店街のドキュメンタリーでは「特色をつくらないと」「イベントをしないと」という議論になったりするのだが、結局、その街のひとが減ってしまうといかんともしがたいのだろう。個人的にこれを、ある種のメタとして考えている。しかしながら特別街に特徴があるとも思えなかったのも事実で、街がひとをつくっているのではなく、やはり、ひとが街をつくっているのだと思った次第である。それにともない、地方都市との単純な比較として、東京に経済も政治も文化も集まっていることは、素朴な違和感として残る。そのままいくのかと。

◆【新青年】公演以降、代表の草壁カゲロヲ氏の活動休止を受け、しみじみと思い続けている。もう2年が過ぎようとしている。僕は演出家である。思っているだけではなにも進まない。ひとを集めたり、舞台のイメージを語らねば進まないのである。『表現』という意味では進めなくともよい。義務でもなんでもないのだから。しかし、一方の『生活』という面でも長年舞台に自己没我していたため、停滞している。なかなか人生とは難しいものだ。一生懸命やっても仕方ないことが多いのである。かなめはバランスなのだろう。昔からの知人・友人に会うと、驚くほど時間が過ぎてしまったことに気付かされる。たった10数年の年月でそのひとがまるで別人のように感じるのだ。ときおり自分が『天然色の化石』になってしまったように思い、呆然と立ちすくんでしまう。

◆政治の世界では世襲問題が議題に上がっているようだ。僕は以前より、とても大事な問題だと思って、ピラミッドの最底辺の僕の意見はまるで響かないのだが、近しいひとには様々、申し上げていた。僕は単純に『親族の地盤を継いではいけない(選挙区を代えるべき)』とだけ考える。これは職業選択の自由の問題をクリアした上で、本質的な公正であるべき選挙を実施するためである。政治家には政治家の実力が必要で、それが2世であろうが3世であろうがその実力があるなら納税者にとって有益である。それが実力にかかわらず、地盤をただ漫然と引き継ぐことによって、あるいはその名前だけで、他の立候補者よりも集票が有利に働くのが問題なのだ。これは投票者の問題ともいえる。ちなみに2世3世議員は血脈を継いで優秀な政治家になりやすい、という意見のひともいたのだが、僕はそれは非常に疑っている。たとえば実力を重視するスポーツ界を例にとる。現在、日本の衆議院議員の5割強が世襲議員だといわれているが、プロ野球界のなかで2世の選手がどれだけいるか?を考えると首をひねらざるをえない。もちろん、プロ野球界のなかにもごく少数の2世選手はいるが、比率が違いすぎるとは思いますまいか。父親とおなじ職業を希望しているかどうか、など統計の取りようもないので、これは私見に過ぎずただの印象である。基本的に2世議員だろうがなんら問題はない。むしろ大事なのは、プロ野球選手あるいは政治家の息子(政治の場合は娘でもよいのだが)として生まれ、おなじ職業に就こうとするときのプロセス。競争の厳しさへの公平性である。その選挙区で、よりよい政策・理念・実行力がある人物が当選して欲しいのだ。むしろ社会全体が世襲社会であっても、少なくとも政治家だけは選良であって欲しいのだ。

◆と、ながなが書いてみた。世襲議員のことについて考えたのは3年ほど前かであろうか。僕はそのとき孔子の本を読んでいた。

「先生がもっとも嫌いな人物とはどのようなものでしょう?」と弟子。
「先祖代々の跡目を継いで自分ではなんの努力もしていないのに安全な場所から、夢をもって努力してもなかなか芽のでない若者を嘲り笑うような人物が、わたしは心底嫌いだ」と子は答えた。(僕の意訳である)

3年前、この文章を読んでなぜか涙がにじんだ。そしてテレビのニュースに映る傲慢な政治家の顔を見たのだ。

◆そして、なぜ僕は東京の旅日記なのに世襲議員問題をながながとりあげるのか?それは10日間の旅で『世襲議員が減らなければ東京の一極集中は続く』というマイ理屈を発見したからである。だって地盤がどうのこうのといいながら実は彼らは生まれてこのかたずっと東京暮らし。東京のおぼっちゃまなのだ。東京大好きな世襲議員が経済も政治も東京から引き離すわけがない。『地方分権』なんて地方出身の議員しか真面目に取り組んでいないのが実情。そもそも世襲議員は若い頃から知り合いだから結託してる。地方から血脈なく頑張って当選したひとで、のし上がってくるひとたちはやがてどこかで足をすくわれる。世襲議員は結託して世襲議員コミュニティでないひとの頭を叩く。仲間外れごっこは世の必定である。槐より始めよ、という言葉もある。現代日本の社会構造が封建社会でないということを示すべきは、まず政治家ではないだろうか。

◆嗚呼、しかし、人生の問題が山積の、このちっぽけな僕の、東京でまとめた考えの結論が、まさかの『世襲議員問題について』だとはっ!天の啓示の思し召しと受け入れ、僕はある種のメタとして、今後、無理やり参考にしていくしかない、そう思った次第である。

◆東京では黒テントの初日で忙しいのに付き合ってくれたA君、お寿司をごちそうしてくれた永遠の美少女Mさん、に感謝。グラインダーマンのT氏は上野を案内してくださり家にも泊めていただいた。Nさん、G君、G夫妻、酒うまかったね。そして友人H君にとりわけお世話になった。H君には僕の予定の破れを全部フォローしていただき大変迷惑をかけた。新たな一歩を踏み出そうとする『天然色の化石』は深く感謝する。そのことを末尾において、旅の報告としたい。
| 誰かのための日記 | 08:02 | comments(7) | trackbacks(0) |
誰かのための日記-025-【Kの法則】その3
◆おひさしぶりです。わたしが近藤和見です。

◆昨日、24日に大阪は森之宮青少年会館パブリックスペースでおこなわれた一人芝居コンテスト『サクゴエ・ラボラトリー』で、ヴォガの役者、ハ・スジョンが出場し優勝することができた。わたくし近藤は、作・演出・音楽で参加したのだが、この優勝はスジョンくんの表現のチカラである。先日も関西でキャリアを積み上げてきた劇団『遊劇体』のキタモトマサヤさんが演出されていた芝居に出演して、いい勉強になったようだ。それらを着実に実力に変えてきたのがわかって、しみじみ、嬉しく思っている。

◆わたしのほうはここ最近、ミュージカルのアートディレクターをやらせてもらったり、劇団『黒テント』の役者さんと話して刺激をもらったり、多感な十代から毎日のように遊んでいたIさんとヒサカタぶりに話して新鮮な気持ちになったりで、おおむね元気である。

◆そのおおむねの元気さをもって来月頭には東京へ(貧乏ながらも)いってみたいと思っている。来年には東京で公演をうちたいのだ。関西でなにかを達成したわけではないのだが、挑戦してみたいのだ。冒険に似た小旅行。顔見世行脚をしたい。東京の知人・友人・仲間のみなさん、滞在中よろしくお願いします。

◆というわけで、ヴォガはいま、急激な変化を求めている。これから新しいことにチャレンジする前に、ヴォガの集団としての変化を楽しみたいと思っている。ともない、新人の役者を募集し始めたので、興味あるひとは連絡くだされ。

◆そうそう、忘れた頃にやってくる熱病のような存在である[コードネームK]と名乗る謎のアマチュア人類学者から、みっつ目の法則が送られてきた。クリーム色の洋便箋にとても太い文字で書かれたその法則、その言葉。ともすれば怪しげな【Kの法則】である。その力強い文字は「我、自信あり」という主張なのであろうか?

【ウール100%のセーターがチクチクするひとは赤ワインで酔いやすい】

◆文字が太すぎて%という記号の丸がつぶれてしまうほど、自信がある模様。わたしはウールに弱く首などチクチクする性質で、そんなわたしは確かに、赤ワインが他の酒より比較的酔いやすい。さてみなさん、今回の法則はいかが思われたのだろうか?[コードネームK]と名乗る謎のアマチュア人類学者。その正体を知る者はいない…。

◆なお、コメントに不規則なものがときおりありまして、承認制にさせていただきました。書き込み自体は嬉しいのですが、舞台人・表現者としてブログを書かせてもらっているので、個人的な連絡は、サイドバーにあるプロフィールに載せてあるメールに送ってください。承認制といってもほとんどスルーで通りますので、またジャンジャン書き込みもしてくださいな。悪しからずや♪
| 誰かのための日記 | 22:19 | comments(9) | trackbacks(0) |
誰かのための日記-024-【Kの法則】その2
◆痩せたいと願う今日この頃、近藤和見です。[コードネームK]と名乗る謎のアマチュア人類学者からふたつ目の法則が送られて来ました。なるほどっ!わたしはヒザを強く打ったのであります。

【携帯ストラップを3つ以上ブラさげているひとはディズニーが好きだ】

◆「追伸☆ストラップがディズニーでなくとも(たとえひこにゃんであろうと)」と送られてきた手紙に書いてありました。ため息がでるほど、どうでもいい法則であります。
| 誰かのための日記 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
誰かのための日記-023-【Kの法則】その1
◆こんにちは。このところ無駄なハイテンションを維持している近藤和見です。どこかに行きたくてそわそわと、じっと座っていられません。大人の多動症なのではないかと人生を恥じる毎日であります。座力を問われるアラブならすでに村八分かと思われます。

◆ところでみなさん、【Kの法則】というものをご存知だろうか?それは、[コードネームK]と名乗る謎のアマチュア人類学者があまねく事象をその独自の法則化で読み解くといわれる動物行動学的法則である。わたしが感動した代表的な【Kの法則】を今後紹介してゆきたいと思う次第である。それはこのようなものである。

【コーラ500mlを一気飲みできる者は高山病にかかりにくい】

◆どうでしょう?この飛躍ぶり!江戸の敵を長崎が討つほどのっ!しかし、「なんだこれは」とあなどるなかれ。もし富士山登山にでもいかれるとき、くっきりとわかれる高山病罹患者と非罹患者。非罹患者の全員がコーラ一気飲みできる、ということではなく、コーラ一気飲みできるひとの多くが高山病にかからない、ということなのである。それは[コードネームK]の丁寧なサンプリングによって判明している。考えてもごらんなさい。いざ高山病にかかってから対処してもこれはもう手遅れ。呼吸困難、寒気、震え、頭痛の責め苦。これはコーラ一気飲み能力であらかじめ判断しておくのがよろしい。頭痛薬をあらかじめ服用したり、多めに携帯酸素を持っていったりできる。

◆わたしは富士山から無事帰り、高山病にかからなかったというひとを探し出しては不敵な笑みを浮かべながらコーラを手渡し「一気飲み、できますか?」と聞く。彼らはなにくそ魂というのか、眉を怒らせそれを飲み干す。一気に。

◆【Kの法則】『コーラ500mlを一気飲みできる者は高山病にかかりにくい』の科学的論拠を説明するのは骨が折れる。なぜならば[コードネームK]はざっくり法則は語るが、それ以上、多くを語らないのである。クールである。わたくし個人の考察によると、低酸素状態の血液は赤血球の増加を示すこと、また、大気中の酸素含有量が少ない場合、肺胞から逆に酸素を奪われること(仮に大気酸素21パーセント含有である場所から16パーセントの場所に移った場合、5パーセントの酸素を奪われるという反応が起こる。このため酸素の含有量が少ない場所ではひと息で卒倒することもある)、のふたつがファクターであるように思う。男性において薬指が人差し指に対し長ければ男性ホルモンであるテストステロンが比較的多いことを示す、というような意味である(週刊文春:竹内久美子『わたしが答えます』より)。これらがコカコーラ一気飲み能力と密接に関わると思うと、わたしの小さなドキが激しくムネムネするのである。むろん、疑うことなく【Kの法則】が正しいことを前提にしている。

◆謎のアマチュア人類学者[コードネームK]。その正体を知る者はいない…。
| 誰かのための日記 | 18:22 | comments(6) | trackbacks(0) |
誰かのための日記-022-今年の抱負
◆2009年となり代わり、初日記でござい。ぱちぱち、ぱちん。

◆これを、深読み、というのでございましょうか、ユビキタスともユビキポン酢ともいわれるインターネット網。世界中のありとあらゆる新年のごあいさつが、押し合いへし合い悲鳴をあげ、どういうネットの配線の伝播の具合なのか、わたしのこの仄暗い灰色の脳細胞にその絵が、薄目ほども浮かばない、けれど恐らく深刻な、世界は情報の混雑を来たしていると手前勝手に思い込み、たとえば電車内では声を発せずパントマイムで意思疎通のマナー、そんな公共精神だけを自らの矜持としている手前といたしましては、大道を行く世間様に大いに小さな気を使いまして、ようやくここで初日記とあいなった次第。もちろんその基準たるデッドラインは『成人の日』でございました。

◆申し遅れました、わたしが近藤和見です。もはや「おめでとう」というより「あけましてありがとう」という心境であります。尊敬するアーティストは上岡龍太郎。趣味は彦根城の石垣を数えることであります。新年ということで、思い切って自分の写真を載せてみました。恥を忍んで生きております。飼い犬に頼み、くだんの最新型携帯電話機の写真機能を使いわたしを撮らせたのでありますが、おりからの冬型の気圧配置の影響で、いわんや、もちまえの乾燥肌は真っ赤な荒野であります。熟考の末、セピア、というエレジーな色見にいたしました。飼い犬は「わぉん」とささやかに吠えたのであります。昭和の小市民といたしまして、写真に撮られることがあまりなく、緊張でやや厳しい眼つきになったことをあらかじめお詫びします。アイアム、メランコリー親和型、ざっ辛いと…。

◆そんなわたしでありますが、みなさまと同様に、毎年『抱負』なるべきものをこしらえております。せっせと。過去、20代での最多トップ抱負は『スレンダーなボディをつくる』でありました。それは、25歳より『性感帯の拡大』をひとつはさみ、のべ4回採用されたキラー抱負でありました。そして30代になりましてわたしも社会的な視野を持てるようになり、落ちない脂肪もあるという事実にも狼狽し、抱負は多様化してゆきました。数え30歳は『大きな声で返事をする』という、ともすれば忘れがちなダイレクトコミュニケーションに関する抱負。思えば質問の声より大きな声で返事をしてはいけないことを学んだ1年間でありました。数え31歳は『銀行を信用しない』でした。急転するグローバル経済のなかで、このみみっちぃ生活をいかに防衛するかをテーマにした、そんな抱負でした。とても不便でありました。数え32歳は『整髪料を上手に使う』という社会人の第一歩ともいえる身だしなみについての抱負。天然パーマの生かし方、と言い換えることもできようかと思います。そしてついぞ去年の数え33歳。キッパリ『くよくよしない』という抱負にしました。「くよくよしないぞ〜、くよくよしないぞ〜」と高らかにシュプレヒコールを挙げました。しかし或る日突然、抱負界の印象派、といったボンヤリした抱負であることに気付き、愕然。よろよろと激動の写実的2008年を乗り越えたのでありました。めでたしめでたし。

◆で、数え34歳という数字的になんの節もない本年の抱負は、ズバリ『タバコをやめる』であります。昨夜からジョギングも始めました。飼い犬は「わぉん」とひそやかに吠えております。「あれ?年初にタバコ吸ってなかったっけ?」という方、記憶違いだと思います。いっそわたしを忘れてください。でもさ、もう全然吸ってないんだからっ!

◆なぜか不思議なくらい吸わなくても平気なのです。オバマさんが大統領選出馬するにあたって奥様と禁煙の約束したそうです。あちらは世界の大きなお話だけれども、こんなトウヘンボクにも決意することがございます。本年は禁煙を契機として成し遂げたいことをしっかり行動したいと思っております。だからやめられたのだと思います。古今亭志ん朝さんは立派な噺家になるために大好物のウナギを断って、それは親族が「志ん朝はウナギが嫌いなのだ」と勘違いするほど徹底して断って、研鑽を積んだのだと聞きました。比べるのも失礼ですが、わたしもかくありたいと願うのであります。

◆過去のアーカイブが消えてしまって自分で正確にわからないのですが、おそらくこのブログは今年で8年目だと思います。ブログなんて呼び方などまだなかった時期に始めました。勝手連として始まっていた非公式ページの管理人である柴田女史(心底、感謝!)から「日記書いてもらえません?」と依頼されたのです。そして数年前より柴田女史の許可を得て、このブログのコンテンツを非公式サイトから公式サイトに移行し現在のかたちになりました。日記というには飛び石ですが、これからも非徒然日記として書いていこうと思います。できるならば我が雑文におつきあいいただいてる方々ともっと交流していきたいと思っております。本年は皆さんから、もっともっとコメントいただけたらと幸いです。なにか思うことがひとつでもございましたら是非コメントくださいませ。嗚呼、悪しからずや。

◆ともあれ、本年もよろしくお願いします。平に。
| 誰かのための日記 | 13:18 | comments(8) | trackbacks(0) |

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