雑記-18-火急
嵐の9月である。
オフコースの歌詞にある「ああ早く9月になればOHOH…」を思う。
身内には以前より話して来たが、我々lowo=tar=vogaは、来春正月に公演を行う。千人規模のスケールを目指す。詳しくはまた。
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雑記-17-過日のこと
ここ数日のこと、いくつか。

26日、満30歳の誕生日。「おめでとう。しっかりしてや。」と簡潔にして直載な母のメール。有り難し。
いただきもの多数。音源、本、酒、食糧。有り難し。

27日、新lowo=tar=voga邸(桂)引っ越しパーティ。のべ50名の来場。遠いところまで皆さん来てくださり、感謝。有り難し。同居人鮫島は『不純喫茶バース』で緑茶とタコ焼、スジョン君は『大衆食堂PRIDE』でプライドカレーと親子プライ丼、僕は『Bar涙声』でウィスキーを、各々、供した。皆さんとは末永くお付き合いしたいと願う次第である。

28日、その片付け。手伝ってくれたひとたちと夕刻、I女史が差し入れて調理してくれた味付鶏肉と野菜の炒めもので晩餐。鮎(これは冷凍した)もいただいた。阪神戦を観ながらビールで乾杯。これは至福である。

29日、稽古。熱心に行う。窪田が風邪で欠席。心配なことだ。僕もすこし熱っぽい。流行り風邪だろうか。見学にM君。パーティに来てくれたのだが、みっかと空けず見学にくるとは見上げた青年だと思った。
そして本日30日、30歳の30日。折からの肩凝り、リンパ、ヘントウ線が快方に向かう。病気退散、残暑撒水の如し。諸事、頃日の重石だったのやもしれぬ。しかし、現実の生活は次々と新たな重石を…。『キリリッ』と行きたい、満30歳のヤッサカである。
※ヤッサカ:古代ユダヤ語で『神に叫ぶ』という意味らしい。
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雑記-16-タクラダ猫の憂鬱
『タクラダ』とは、田蔵田と書き、ジャコウに似たケモノ。『タクラダ猫の隣歩き』ということわざがある。その意は、ジャコウならその独特の芳香を得んがため捕えるが、似ているだけで芳香を持たないタクラダは、ただ殺されるだけで棄て置かれてしまう、つまり『サッパリ役に立たない』ということ。しかし『タクラダ』の本意は他にあるようだ。

頃日に思う。『正しい生活』とは、だ。人類が、猿かなにか解らない頃から、ジンカンに一貫するのは、アブレモノ(例えるときりがないが簡潔にいうと『税金を払わぬものたち』や『生産性のないものたち』が代表的アブレ)は社会化される、ということだろう。当たり前だか、初めの猿かなにかの頃は、この世に社会人はゼロだったのだから、ジンカンの社会化と、ひとの社会化は同時進行であった。現在もそれは途切れることなく続行中と思われる。社会は変化するのだから相対的に大量のアブレモノが発生する。解り難いなら『携帯電話を持つ』という社会化の例を引けば解り良い。僕は自分自身、アブレモノかどうか測りかねているのだが、神経心理ではここ十数年、社会化とデカダンスで攻めぎ合っている。人間は『生物的要素の担保により社会化を義務附けられている』と思う。そういう意味で、自然発生的、あるいは人為的な、包括的複合体への関係性について、僕は日々是沈思黙考の次第、である。

して『タクラダ』である。昔、村にいた生まれつき愚かなひとを、神のお使いだ、と村人は大事にしたそうである。そのようなひとに与える田を『タクラ田』と呼んだらしい。西洋にもそんな風習があることは知っていた。「オタカラ」と隠語にモジリ、そのひとをバカにしつつ(純然な佳話でない)も、情を持って接していたそうな。時間よ止まれ!嗚呼、マレビトよ!きみは美しい。なんてねっ。ちなみに『タクラダ猫』はシナの故事からの出典であるが、ただの冗談である。漢語にも冗談があるとミジンも思わず昔の日本人が意味を取り違えたに候。
| 雑記 | 03:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
雑記-15-禁忌オカスコトナカレ
昼刻、ミスドで読書、毎日新聞と、高島俊男『本が好き、悪口言うのはもっと好き』を読む。首の痛み和らぎつつあり。

夕刻、隣町のガムラン演奏家夫妻のお宅へ演奏を聴きに。焼酎をいただきながら贅沢な時間。ゆったりとガムランを聴きながら、俄にまったく演奏とは無関係の出来事を考え始めた。
『そのひと』と僕が初めて会った頃の記憶は、いまや出来事についてでしかない。なにをしたか、どんな風景か、そのような点と点があるのみである。そして、唐突に、そのひとと会うことがなくなった。

そして5年の歳月が過ぎ、偶然再会した。ただ嬉しかったのだが、こんなに嬉しい気持になれるのに、どうして急に没交渉になったのか不明にさえ思った。

ひとつヒントがあった。僕自身が最後の電話で「もし再会してしまったら、そのときは僕の負けだと思う」といった記憶がある。それは唯一の会話の記憶であった。しかし僕自身、当時の心境がわからない。感情の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。恐らくその言葉は『今日からあなたへの気持を僕の禁忌(タブー)にする』という意味だったのではないかと思う。かのひととは十数ヶ月前に『もう会わぬ』と意を交した。二度目の約束である。いまも、かのひとの選択した結末を畏れ続け、かのひとに対してみせた自分の狭量と欲望と無思慮を恥じ入るばかりだ。7年前慎重に禁忌を用意した僕はわらうだろう。禁忌を冒した僕は、この悔恨を消す術を持たない。
| 雑記 | 01:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
雑記-14-百戦の錬磨
『不安定』とは単純で実直な言葉である。安定に届いてない、という語意。因みに安定にあらず、となると『非安定』という表記になり『安定』とは区別され、その過程的な語感は失われる。

本日、Uノゾ嬢から「文字通り首が回らないのね」と指摘された僕は、ヘントウセンの腫れと金銭的問題で、物心共に落城の浮き目にあっている。米内海軍大将ではないが、去年末の挫折を考えると、社会性において二度目の敗北といえる。それは圧倒の力不足である。

とはいえ数日間の蟄居で片付いたばかりの部屋に馴染みだした。じっくり読書を愉みながら、僕から離れた様々を思う。

もうすぐ30歳になる。百戦とは大袈裟だが幾つもの乗り越えねばならない山があった。
錬磨された部分と削がれた部分とが旧友のように再会するときがある。
そんな数日であった。
| 雑記 | 15:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
雑記-13-ウナサレの部屋
高熱である。

先週はワークショップの準備・本番、部屋の壁塗り、週末の福井・滋賀合宿と立て続け、どうも身体が行き詰まったようだ。

おおいに日焼けしたせいで、身体がホテリ、しばらく熱だと気付かなかったのも僕の失敗である。

昨夜は酷く首と後頭部が痛み、桂の部屋でじっとしていた。ウメズカズオ先生の『神の左手悪魔の右手』全四巻を引っ張り出して読む。熱のゾクゾクが臨場感を高める。事情により一年以上倉庫に入っていた思い入れのある自分の図書に熱中した。

マンガはすぐに読み終る。次に手にしたのは団鬼六先生の『黒い鬼火』だった。寝床に入る前に電話で話した快楽主義者「Nマリ嬢」の快楽宣言を拝聴した影響か?
枕に頬をあて読みながら、蝴蝶の夢の如くいつしか物語は眠りに接続された。
目が覚めると枕は足元にあり、毛布はベットの傍らにあるソファにかけられ、本はそこいらに散らかり、クーラーを切って寝ていた汗だくの僕。

そして僕の症状は、回復の鐘を打たないのであった。
| 雑記 | 16:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
雑記-12-時間よ止まれ
去る水曜日、大阪府下、高校演劇部の人達400人とワークショップの場で交流した。WI'REのサカイヒロト氏の誘いであった。

きっちり準備したかいあって高校生諸君も楽しんでくれたようだ。

ワークショップのなかでLowo=Tar=Vogaのメソードを大人数に紹介し体験していただいた。いろいろ思うところはあるが、いま時間がなく、またの機会にここに記そう。
サカイヒロト氏にはお世話になった。この場所を借りて御礼申し上げる。

五時間に渡るワークショップを終えたあと、読売文化ホールをでた。帰路で出会う参加者達が大きな声と笑顔で「ありがとうございましたっ!」という姿に気持ちが雪がれた。コチラが教えていただいたように感じた。
| 雑記 | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
雑記-10-ホモソーシャル
冒頭にあらかじめ記す。「わたしはホモでもゲイでもない。」わたしは工事現場の雰囲気が好きだ。夕焼けを全身に浴びた、仕事を終えたムクツケキ男達を見ると、グッと万感が胸に迫る。この感情はなんだろう?

世のジェンダー淑女に怒られそうだが、我が劇団に置いても、男が多けりゃ多いほどワクワクする。『日が沈んでも遊び続けてくれる男達』といった比喩が近しいか。
演劇人口の男女比は、恐らく2対8くらいであろう。我が劇団の構成比も女子が多く、男5人で始め『いまどき珍しいバンカラ集団』と評されていたことを考えると少々エンセイの感を禁じえない。

男性諸君に告ぐ。情熱をぶつけるだけの『面白さ』と『奥行き』を保証する。年齢・経歴問わず。興味のある方、連絡【lowotarvoga@mac.com】くれたし。野外劇場の夕焼けを浴びながら、エエ歳こいて『本気で遊べる仕合わせ』をムクツケキ男達と共有したいのである。
| 雑記 | 19:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
雑記-9-仮装した人々
A ピアス【悪魔の辞典】政治:の項目には『仮装した人々の争いの場』とある。定義付けというのはよく考えて行われるものである。【悪魔の辞典】のようにシニックかつ警句的な視点の定義が好きだ。相対的真理である。

今日も喫茶『みゅーず』で毎日新聞を読む。テレビを見ないので、大きなニュースもタイムラグを持って知る。くだんのロンドンテロは彼らにとって最良のタイミングに即した。そして各国の政治家たちは様々な立場と様々な言葉で現実の『ひとつ』を語った。

メディア・マスコミニュケーションが発達し、大衆の下世話な知識欲が進み、政治家は丸裸にされる。ピアスの定義に第ニ項を付け足す必要があるようだ。仮装しても別人になるほどでなければ、「オマエだっ!」と指差される時代である。

建前や立場で仮装してやりあっても皆、シラケるばかり。現実の問題をかんがみ矛盾を解消し続けなければ皆、呆れるばかり。これは日本の立法府の話である。
| 雑記 | 06:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
雑記-8-鬼手仏心
座右の銘である。

昨夜は河原町蛸薬師東のバァ『Sit get sun』で超絶ギタリスト「Take-Bow」と偶然いあわせ呑む。わたしは『将棋世界8月号』を読んでいたところだった。そして「フランクザッパ」の話が出たので、ヒゲの先生こと「升田幸三実力制第四代名人」の話をする。

ヒゲの先生は好んで【鬼手仏心】と揮毫した。元々は仏教用語のようだが、将棋用語としてもガテンがいく。それは将棋は「指す」といい、数量は「一手ニ手」と数えるからだ。

しかし【鬼手仏心】とはなんとも味わい深い言葉ではないか。「おにのきびしさほとけのこころ」「おにのきびしさほとけのこころ」…何度も呟くと謙虚な気持ちになる。座右に置くべき言葉【鬼手仏心】は、ともすれば慢心するわたしへの自戒である。
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