あとさき日記-ラスト-想像と生命
◇10日、17:00に劇場を撤収。精算作業以外の【Ato-Saki】を終えた。

◇9日の打上げも総勢50名ほどで四条通縄手の『バリバリインドネシア』にて、おおいに盛上がり、まず嬉しいことであった。そして、スタッフで参加していた、一光くん、井田くん、麻衣子嬢、イル嬢、お客で来ていた、中村女史、蘆花嬢(男なのだが中身は女なので女)が次回から役者で参加したいと発表。劇団員が増えることはさまざまな意味で、最高の嬉しさがある。単純に計算するといま劇団員16名。公演中にあまり話せなかった、照明操作の高円女史と話せたのがよかった。照明デザインの柿嵜氏が打上げに来れなかったのが残念であった。

◇10日、10:00。30分遅刻してしまった。そしてみんな酒の残ったまま、ばらしが始る(ぼくはあまり呑んでいなかったようで大丈夫だった)。とんとん進み、ばらしも終り、神戸へ音響機材を輸送。鮫島と交代しつつ、ふたり、やばい運転でトラックを走らせた。

◇帰宅は10日22:30。鮫島ともども帰ったら、海野、スジョン、タナカG、史恵、さかえがお鍋とビールでねぎらってくれた。そして、いつのまにやら夢の中…。

◇11日、9:00に眼が醒めた。夜中11日、2:00に盟友take-bowがうちにワインを手に来てくれていたらしい。ぼくを起したらしいのだが、やおら起きあがって「公演はっ!」と叫び海野に「終りましたよ」といわれ「そうか、終ったか」といって寝たらしい。take-bowと話したいこといっぱいあったのに。また今度会える。

◇今回感謝したいひとはほんとうに多い。だれもがひとりたりとて欠けてはならない公演であった。まず、素晴しい絵を描き下ろしてくれた足田メロウくんに感謝。親身になって助けてくれた、ART COMPLEX 1928のスタッフのみなさん、とりわけ端野女史。維新派の先輩で裏を走り回ってくださって、アドバイスも沢山下さった舞台監督塚本修氏。舞台の細部まで神経を使ってくれた美術の乃村氏。ぼくの無茶苦茶なスケジュールで迷惑をかけたにもかかわらず、やり遂げてくれた映像製作の藤林昌奈嬢と石山青空くんと映像技術の古田氏。

◇そして、オープニングアクトのプロデューサーと公演生演奏のtake-bow!感謝している。思えば今回の公演の相談を、あなたにしたときからすべての歯車ががっちりと噛合ったのだ。剣呑とした気持のささくれがすこしづつなだらかな曲線となり、この公演を力強いものとした。ぼくはこんな精神の美しいひとに会ったことがない。深く感謝する。

◇「ものをつくる」という営みは、生命を享けて、身体が成長し、声が変り、思春期を経て、進んでいくことの延長なのではないかと思いだした。難しくいうなら、「持続的成長する、身体を越えた半透明の身体」というイメージ。簡単にいうなら「ヒットの延長がホームラン!」である。
| あとさき日記 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(1) |
あとさき日記-25-2・3日目を過ぎて
◇2日目になり、みな欲を持って舞台に立ちはじめた。
◇3日目本日はマチネ・ソワレともに立見が出るほどの盛況であった。有難く思い、ずんとくる。
◇ソワレの部で、ぼくはオープニングシーンのピアノ朗読の様子を変えてみた。ぼくにも欲がでてきたようだ。
◇5年前にデパートでアルバイトをしていたときの社員の方がみえて、なにも連絡などとりあっていないのに毎回きてくださり、ずんとくる。ほんの2,3秒間、すれ違いの会釈が清々しかった。
◇最終回の最期の1秒まで、精一杯のロヲ=タァル=ヴォガでいたいと思う。
| あとさき日記 | 00:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとさき日記-24-はじまり
◇とうとうはじまった。【Ato-Saki】公演。
◇スタッフ・役者、みんないい顔してやってます。是非、お時間許す限り、お越し下さい。
◇手前味噌ですが、うちの代表取締役団長『草壁カゲロヲ』がよい。やはり、ぼくは『草壁カゲロヲ』ファン代表なんだと思った。
◇あと6回。あと6回しかないのだと思うと愕然とする。
◇ぼくはいま生きているんだと実感している。
| あとさき日記 | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとさき日記-23-くちびるの痛み
◇【Ato-Saki】はぎりぎりの線で進行中。ふう、頑張る。

◇しかし、この10日間ほど、上唇が腫れてヒリヒリしている。乾燥しているだけだと思い、当初、あまり気にとめていなかった。ところが、いっこうになおらないうえに、カサカサしていたのに、ツヤツヤと普通になっている。しいていえば、腫れているため、真っ赤に燃えた色をしている。

◇ひとにきいてみると、それは胃が荒れているのだという。けれども、ぼくは、これまでけっこうな胃痛持ちであったので自覚症状がわかる。胃が荒れている、という感覚は特にない。奇妙である。おそらく、胃は大丈夫だと思う。

◇とすれば、なにか?酒も最近は、まったく、とはいわんが、呑んでいる、というほどでもない。げんに、酒呑みのあらわれであった背中のザラザラがなくなり、いまでは、(若々しい)ちょっとした背中、である。

◇酒でもないとすれば、新たななにか?である可能性が高い。

◇新たななにか?でなければ、過去のなにか?を忘れている可能性も否定できない。

◇ともあれ、くちびるが腫れてヒリヒリしていることは間違いないわけで、往生している。なにが往生しているって、「あいうえお」の「い」のかたちをするだけで、ぎゃふんとなる痛みなのだ。「いろはにほへと」なら、「い」のいちばんに痛いわけだ。痛いのは嫌いなのだ。

◇意外に知られていないが、ぼくは痛みを我慢するのは得意である。以前はよくいっていた。「ぼくね、いまね、普通の顔してるけどね。歯は3本、虫歯で痛いし、偏頭痛もちょうどビッグウェーブやし、コンタクト附けっぱなしで、眼がしびれてるし、腰もけっこうきてるのよ。それやのにみてよ、このマドンナ旋風、あるいは、マドンナ達のララバイ的なこの穏やかな表情。釈迦が入没するときの表情を365枚の鏡に乱反射させたら、多分こんな表情やと自分では思ってる」と。

◇まぁ「よくいっていた」というのは嘘であり、嘘は泥棒のはじまりであるので、ワシントンよりも正直にあらかじめここに記す。

◇痛みは主観であるため、痛みの情報をいうだけでは、その度合はわからぬものだ。睡眠薬自殺はじつは苦しい、なんていわれても、にわかには信じないもん。

◇最近、酒を呑まないと、夜になったらめっきり眠くなる。いや、待て。酒を呑まないと、ということでなく、「くちびるが腫れる」という現象と相関関係があるかもしれない。

◇この◇マークを使い始めてから、とりとめない文章が多くなってきた。◇マークおそるべし。

◇今日も劇団がバリバリ忙しくて、といいながら、個人作業もまだまだ折返しもいっていない感じであるため、眠ってはいけない。

◇昨日、劇場のH嬢との電話で、ぼくは覚えず、きつい口調で話をしてしまった。その直前に、劇団のものに唸っていたので、そのままのテンションだったのが原因だと自身では理解しているが、H嬢には伝わらない。う〜ん、自己嫌悪。

◇わが愛する井上陽水の『自己嫌悪』はよい歌だ。「めくらのおとこはしずかにみてる。じぶんのにがおえかいてもらって。にてるとひとことつぶやいている。あなたのめとめよ、なみだでにじめ」という歌詞。

◇仮眠しよう。明日もパンパンのスケジュールだ。

◇ぼくは正月という電車を見送るのだ。

◇電車を見送る、で思い出したが、かぐや姫・イルカの『なごり雪』である「なごり雪も降る時をしり、ふざけ過ぎた季節のあとで」の意味が最近ようやくわかった。ファッション的に歌詞を読み、唄い、よい歌詞やねぇ、といっていたのだった。文章として、「ときをしる」というのは歳時記的な意味合いだ。なごり雪もそういうことなのだが、冬の蝉や秋の桜(コスモスではない)のような、逆の意味の「ときをしっているものが間違えること」という風流もある。それを逆説的に、ときを違えていることが前提のなごり雪に「ときをしり」とつけているところが、憎いくらい素敵ないいまわしなのだ。

◇つまり「なごり雪さえも降る時期をしっていた。ぼくたちはしらず、いま別れのときを迎えた。ぼくたちにとってはふざけ過ぎた季節のあとだった。それを象徴するように、いみじくもホームにはなごり雪が舞った。」というニュアンスが、言葉の陰に陽にある。恋愛をして楽しい日々を過したのであろう。「ずっと暮そう」あるいは「結婚しよう」といったことをいえずにそのふたりは、別れの日を迎えたのである。それを「ふざけ過ぎた季節」と表現している。ふたりは冬の蝉のように、ときを違えて鳴いてしまった。そして、別れの春が訪れ、急にきれいになった(みえた)きみを、かれはホームで見送り、しばらくたちあがることもできずに、ただ、落ちては溶ける雪を眺めていた。時計の針は戻せない。後悔もあろう。おれはこの別れを、ずっと悔んでいくかもしれない。という、ある意味の誠実ささえ感じる歌である。奥行のある詩だとあらためて感動している。

◇季節の上では「なごり雪」が降るのは春である。なにを名残惜しんでいるのかはいうまでもない、このくにの叙情であろう。
| あとさき日記 | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとさき日記-22-ぐっと噛みしめている。
◇一週間に渡る、道具稽古を終えた。クリスマスも大晦日もない。

◇今日はバラシ、道具運送だったが、一日休ませてもらった。ぼくは今日からほとんど一睡もしないであろう。

◇代表取締役団長カゲロヲの挨拶文がよい。

年の瀬を迎え、寒さ厳しき折、皆さま、ご勉励のことと存じます。
ロヲ=タァル=ヴォガより近況と公演のご挨拶をさせていただきます。

私どもは、2002年の本公演以来、ツアー、コラボレーション、共同企画、イベント参加など形を変遷させつつ、新メンバーを加えてゆき、この度、年明け早々に4年振りの本公演、京都・ARTCONPLEX1928にて、新春大興行!と銘打ち、第4回本公演【Ato-Saki】を上演いたします。

今回は、この公演のサブタイトルに「八月十五日…あとさき」とありますように、日本の敗戦・終戦という歴史の結末に触れ、その前後、その後先といった設定にストーリーの根幹を置き、時間を越えたひとそれぞれの邂逅を中心とした物語です。

戦争を経験していない我々にとって、大変、難しい内容かもしれませんが、戦争経験のあるひとびとが、さまざまな困難を乗り越え、未来を思い描き、こころを変容させたように、我々にとっても大きな試練を自らに与えるように、こころから身体から挑みたいと思います。
| あとさき日記 | 06:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとさき日記-22-スロウなブギにしてよね
◇とりわけ、この時期になると、忙しい。二週間を過ぎると、舞台のあらゆる情報がでそろい、イメージが先鋭化する。だから、自分に自分がおいつかない。稽古、台本、音楽、ああ、同時にしたい。
◇おおきな場所をかしていただいて、仮設舞台をつくり、稽古している。あと3日、借りている。ここが「勝負っ!」。
◇われながら性格がきつい。発言が直裁的になってきた。
◇例えば、ひたすら両の脚を前後させて進むような感覚。最期には有明の景色が広がれば、それでよいと、そう思う。
| あとさき日記 | 09:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとさき日記-21-われ、我を発見せり!
◇世界唯一の「世襲制共産主義国」である北朝鮮のこと。

◇「右翼も左翼も結局似てきた」という良いと思っているのか悪いと思っているのかわからぬ、識者の、ため息っぽい感想を読んだことがある。くわしくは専門家でないので語れないのだが、といいつつ、ぼく自身は、違うんじゃないの?と思っていた。テーマが根本的に違うから、運動・行動が似ていてもやはり相容れないものとしか思えない。むしろ、資本主義と共産主義を政治的相対性なしに理想へ向わせると、それをおこなう人間の持つ資質として、おそらく最終形が近いのではないかと思う。だからはじめから、資質である競争意識や優越意識や権利継続意識を折込んだ理論を構築していれば、共産主義も生きる道はあったのではないかなぁ、なんて思ったりする。

◇中国でさえいうように、階級を打倒すべき共産主義に「世襲はあり得ない」のであって、北朝鮮の、とくに思想的指導部の、そのへんが鷹揚である。「うえがそういうからそうなだけ」がみえみえで階級闘争精神の欠片もない。そういう意味では共産主義政治機構として「楽をしている」のだ。『金持ちの子は金持ち』の理屈でいうと結局、人間の資質、というのはケチなもんだと思うね。納得できる理屈だけれど。

◇ところが昨今、貧乏人もニューリッチとして、金持ち地図を書換えているようだ。でもリッチ層はかわらずリッチなので、吸いとられるかたちで結局、貧乏人が増えているに違いない。サメ、マグロ、イワシの連鎖は摂理ともいう。まぁ、こころもちだけでもリッチに暮せればよいのだが、きょうびの事件をみていると、世間の貧乏人(ぼくもそうだが)はそういうわけでもないようだ。余裕がない。貧乏で、こころもちも貧乏なら、アンチ資本主義として共産主義運動でもしそうなもんだが、それもしない。むしろナショナリズムに共感(思想的にぼくはまったく共感しないが、朝日新聞的なものも共感しない)しているそうである。だから冒頭の「右翼も左翼も結局似てきた」という発言があるのかと思う。世相の状況で一部の極論者がどちらかを選択する、という意味なのかもしれない。

◇しかし、というか、かかしというか、最近、記憶が曖昧で、精査する癖もなく、ワンフレーズだけを思い出し、このように「はて、あれはなんだったのかしらむ?」と考えることが増えた。ぼくは「若年性なんとか」じゃなかろうか。

◇若年性なんとかで思い出したが、東心斎橋のレコードバァのマスターに「Yさんって消しゴムのひとに似てる〜」といって「なんや消しゴムのひとって!」という会話をした。「あれやん、あの記憶がなくなっていく病気の、あの映画のおとこのひと」。「ああ、ああ。かずみちゃんみたん?」「みてないよ」「ふ〜ん」。「でもYさん、やっぱり曽我さんがいちばん似てる」「もうええって、おかん、曽我さんそっくりなんやから、胸が痛むわ」「Yさん、おとこのひとやから、曽我さんそのものじゃないんよな、残念ながら」「残念がらんでええやろ、曽我さんそのままやったらめっちゃいややわ」「あ、そうか、消しゴムと曽我さんを足してトニックで割ったかんじ?」「なんや、トニック割りかいな」。ちゃんちゃん。

◇ちなみに、ライブドアが近鉄を買収する、というあたりで、球団名をネットで募集していた。そのときのダントツトップが『東北ジェンキンス』だった。世の中には面白いひとがいるもんだと思ったことだった。

◇舞台とかやると、情報宣伝、というものをしなければいけない。情報誌まわりである。そういうとき、ぼくは、ほんとに下手っぴである。腰抜けなのだ。自意識過剰なのだ。「ブルってる」といってもよい。まず、ですます調で話をすると、しっくり話ができない。キャラクター化してしまう。同様に、べらんめい調で話をすると、短気になるし、おねぇ調なら、「宇宙いってみたい」なんて、あることないことわがまま放談である。とりわけ、ですます調のなかでも、「でありますから」なんていいまわしをつけたりすると(まぁ、座興に乗っているとき)、話す内容までまさに『日刊現代』となる。

◇ぼくは一般的に間抜けな大人であって、きっちりと目的を遂行するための話が苦手である。そんな話したくない!、といっても過ぎた言葉ではない。上記のごとく、普段はとりとめなく話をする。それはそれでおもしろがってもらえるのだが、目的を持つと一生懸命になりすぎて、空回りすることが多いから一生懸命にならないように腐心しているのだ。もしかしたら(万にひとつの真理として)根は真面目なのかもしれない。ちょっとふざけてるほうが、結果がよい、というのは個人的に「これはどうなんだろう」と思ってしまうのである。

◇手前味噌的いいまわしにぼくは敏感だ。そして、ちょっと嫌いだ。それなのに空回りしているときはたいてい知らぬ間に手前味噌になっていたりする。自己判断材料である。判断材料で思い出したが、そういった、あ、また、とりとめのない話をしている……。
| あとさき日記 | 06:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとさき日記-20-追上げ
◇ガンガン、書いている。夏休みの宿題を8/31にやっつけている気分になる。約束は約束である。でも、こぼれたら許してね。タナカ・G・ツヨシくんよ。そして、みなさま。

◇前々回のあとさき日記。読みかえしてみたら、覚えず、ぼくの頭の中というより「普段なにをしているか」になっていた。それはそれでいいのだろう。

◇このあいだ、美術のひとたちと家で呑んでいて、バカウケした遊びがある。

◇つのだじろうの漫画を持ってきてヒトコマづつ顔真似をする:そのときの漫画は「うしろの百太郎」であった(あと「恐怖新聞」「恐怖新聞◆廖屮瓮ドの火」「5五の龍」を持っている)。「みてみて〜」といいながら、コマをゆびさしながら、いわゆる変な顔をしているぼくは、考えると、小学生の頃からあまり成長がみられないと思った。お気に入りは百太郎で、やさしくさとす場合「まて、一太郎」みたいな台詞入りでやる。しかし、「悪霊、立ち去れっ!」と唸る百太郎の場合、やさしい百太郎プラス、白目である。一光くんが腹を抱えて笑ってくれた。そして最後に「かずみさんて、そもそも百太郎に似てますよね〜」といってまた腹を抱えて笑ってくれた。百太郎で、なにか、頑張っていけるかしら?ポジティブシンキングにも限界があるのだと、ようやく気附く。
| あとさき日記 | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとさき日記-19-夢の話はするべからず
◇といいつつ、ついさっきまで3時間ほど仮眠していたのだが、夢を見た。

◇「アルプスの少女ハイジ」のような女の子が主人公だった。吹雪の山上でほど高いところの雲が四散し、朱く明るむ空。だが地表では(といっても山の上)吹雪のまま。アルプスの中腹では、無数の、低い速い雲の筋が雄大に流れる。屋根裏の天窓から身を乗りだし、風に吹飛ばされそうになりながら、「わぁ、きれいっ!」と絶叫する少女。そして、ポケットから携帯電話をとりだし、動画の撮影をはじめる。しかし、すぐに雪がカメラのレンズを隠す。「どうして?どうしてこんなときに!」と叫ぶ少女。すこしべそをかきながら、天窓をしめ、今朝ひとりで町に出ていったおじいさんの姿を、こころ細く思うのだった…。

◇とおおまかにそんな夢。目醒めたときは、ほっこりした気持になったのに、文章にすると、とてもくだらない。ひとは「見た夢の話と、見た映画の説明はするな」という。それをやってしまうと、にべもなく、こういうことになる。さすがに先人は物事を知っている。

◇「アルプスの少女ハイジ」のことを、15年くらいはまったく見てもいないし、まして考えたこともない。プックワァ?いまは携帯ももっていないし、それまでも携帯動画なんて、『日本一高い電車』といわれる近江鉄道の車窓からひまつぶしに撮影したくらいだ。プックワァ?

◇素朴な疑問。『夢』には、寝てるときに見る想像と、目標や希望の類義、最低ふたつの意味があると思うが、いみじくも『Dream』という英語も、日本語と同様である。ぼくはこれが不思議でならない。なぜなら「寝てるときの夢」と「目標とか希望の類義の夢」はまったく違うことだと思うからだ。『夢』がただ『Dream』の翻訳であるなら、(まぁ、当り前すぎてつまらないのだが)納得である。でも、春の夜の夢の如し、なんて平家物語にでてくるくらいだからないでしょう。

◇こういった疑問は、わかったからどうだ、ってものではないが、いわゆる興味本位はぼくにとって、存外、大切なこころもち、なのである。
| あとさき日記 | 03:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
あとさき日記-18-告白
◇またもや頭痛。バファリンのんで、横になって2時間ほど寝る。眼を醒ましてお風呂に60分つかる。岩間嬢のメールにしたがってみた。「半身浴がいいよ(前後略)」との由。

◇もはや、黙ってはおれぬ。語らずにおれぬ。と大上段に振りかざしたのはつまらぬ告白である。

◇「なに考えてるかわからない」といわれることが多いわたし。そう聞かれたら、強い信念でお茶を濁すことにしている。じつは頭のなかでは以下の様子。

◇鼻歌をシャンソン調に唱っている:お気に入りは、さだまさし「精霊流し」の越路吹雪調。ちなみにぼくの鼻歌は古すぎてたいてい誰もわからないらしい。

◇ダジャレを考えている:アップルゼリーを食べながら「りんご多いわけ〜?」なんて、ぷっとしてる。きっとほっぺたを紅くして考えている。呑んでるときしか、くちにださないようにしている。

◇かえうたを唄っている:「みーとーいづみにー、かーこーまれてー」がお気に入り。原曲はいわずもがなである。「津軽海峡なに景色?」というゲーム(上野発の夜行列車〜、とこぶしを利かせて唄いあげたあと、凍えそうなカモメみつめ〜、というくだりの風景描写をかえる。ああ、津軽海峡なに景色〜と締める)を開発したのだが、面白くするのに難しく、一年くらいずっと考えている。ちなみに似たようなゲームで「ノンッ、ストップッ、ゲーム!みたいなことをゆってみよう」というのもある。そのとき『シルエットロマンス』ことカゲロヲ氏は、大絶叫で「ジャーンッ、ケーンッ、ポーンッ!」といった。

◇ものまねを練習している:実際の声色とかにはあまりこだわらず、そのひとがいいそうな言葉を探してシミュレーションしてしまう。どんぴしゃ過ぎると笑えないので、普段、劇団員のスジョンくんのものまね以外は、心のなかで「あらあら」と苦笑している。数人の会話をひとりでできる。これもまぁ、せまーい宴会芸か。

◇詰め将棋を考えている:ながーいため息をつくときは、だいたいそういうことになっている。

◇借金の返済プランを考えている:「アメリカの裁判は懲役300年とかあるよね」あ、死んじゃう、と気付き、まずぼくは長生きできるか、無理だ、という希望的結論に至る。

◇くだらない空想をしている:これは多岐にわたる。たとえばひとつ。まず前提として、ぼくの母が以前「マイケルいってくるわ」といってマイカルサティへ買物にいった(実話)という、本当に、本当に忘れたくても忘れられない、とるにたらぬ想い出がある。ならば母よ。「マイカルいってくるわ」といって家をでてゆき、Yahoo!のトピックニュースかなんかに、「マイケルジャクソン、中東で王様気取り」みたいな見出しがあって、クリックしたら画像がでて、そのマイケルと肩組んでちゃっかり写真に写ってる母がアップされてるのをみて、「また、オバハンまるだしの勘違いしてからに」みたいなことをつぶやいたりして、自分で書いててなんかよくわからない、そんなことをいつも空想している。
| あとさき日記 | 07:31 | comments(0) | trackbacks(0) |

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